BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――最も痛い

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 田村隆信の鳴門オーシャンが終わった。6R、あまりにも痛恨すぎる勇み足。こんなにも溜息に包まれるフライングは、そうそうない。誰もがこのオーシャンの特別性を理解していた。田村の思いも伝わっていた。それがこんな結果を導き出してしまうとは。目撃した全員が、心臓を掴まれたような痛さを味わったはずだ。
 ひとり真っ先にピットに戻った田村は、エンジン吊りを終えて装備をほどくと、ほかの5選手の帰還を待ち続けた。戻ってきた順に、田村は全員に対して両手を合わせて謝罪をした。5人は誰もが、言葉もなく会釈を返すしかなかった。田村の胸の内を想像できるからこそ、それしかできなかった。

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 装着場に設置されているモニターでリプレイが流れると、田村はそれに見入っている。たまたま自艇の操縦席に乗り込んで調整をしていた石野貴之が、やはりリプレイを見ながら田村に声をかけた。二人とも、顔には苦笑いが浮かんでいた。石野ももちろん、このFの痛さをよくわかっている。それでも声をかけることで、田村の心は少しは軽くなったかもしれない。
 後半10Rのための準備を始めようとする田村と、たまたますれ違った。田村は僕と目を合わせると、何度かうなずいてみせた。こちらも同じように返すしかなかった。「しょうがない、ですね」と田村。しかし僕は、言葉を返せない。散々絞り出して、田村の言葉を反復すると、田村はまたうなずいた。それから二言三言、言葉を交わしたが、お互いマスクを着けてもいたこともあって、会話はうまく回らなかった。ただ、「これで落ち着いて走れますわ」という言葉はしっかり聞こえてきた。目元には少し笑みが浮かんでいたが、僕はそれを本音とは思わない。

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 落ち着いて走る。鳴門オーシャンが決まってから、田村から何度も聞いた言葉だ。昨年のダービーで予選トップ通過を果たし、勢い込んでいる僕におかしそうに笑いながら、そう言った。チャレンジカップで優出したときも。グランプリ出場を果たしたときも。そのグランプリでトライアル1stを勝ち抜いたときも。クラシックで予選突破したときも。その言葉は、僕と顔を合わせたときの合言葉のようにもなっていた。
 出発地点は4年前の鳴門オーシャンだ。14年グランプリのトライアルでフライングを切ってしまった田村は、それが2本目のFで、90日間の休みを強いられたことから、4年前の鳴門オーシャンの選考期間の半分を、記念斡旋が原則的に入らないA2級で過ごさねばならなかった。だから、半世紀以上ぶりに地元にやってきたSG=オーシャンの選考点をまるで稼ぐことができず、出場は絶望的になっていた。
 ただ、唯一の道があった。それは、3月のクラシックで優出してグラチャンの出場権を獲得し、そのグラチャンを優勝すること。そうすれば、オーシャンには「直前SG覇者」という優先出場権で出場できる。田村は、クラシックで見事に優出を果たした。「残った!」、田村とそう話したものだ。そして迎えたグラチャン、引いたモーターは低調機で、それでもあきらめずに田村は戦ったが、予選落ち。準優進出がかなわなかった瞬間、田村は僕に向かって、両手で大きくバツ印を作った。鳴門オーシャンの道が途絶えた。二人でうなだれたものだった。

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 鳴門には、その翌年にグラチャンが来ることになっていた。田村の照準はそこに切り替わった。久々の鳴門SGには不在となったが、次のグラチャンには絶対に出る。前年にA2級だった時期もあったことから、順調にグラチャンの選考点を重ねていくことができたわけではなかったが、その年の暮れにはほぼボーダーをクリアする位置にはのし上がっていた。鳴門グラチャン、見えた! そう思っていたグランプリシリーズの準優で、田村はまさかのフライングを喫してしまう。向こう4個のSGは出場停止というペナルティがあるわけだが、クラシック、オールスター、グラチャン……鳴門グラチャンはその4個に含まれてしまっていた。
 その直後の会話を思い出す。田村がやってしまいましたわと力弱く声をかけてきたとき、僕はさらに弱々しく「僕は田村隆信を煽るばっかりで、その煽りがこうして……」と泣き言を口にしている。そう、僕はBOATBoyを中心に、田村を煽り続けた。その戦いぶりに惚れ込んでいたから、さまざまな局面で煽っていたが、鳴門SGに関しては特に強く煽った。田村はそれを意気に感じてくれたのか、折々でさまざまな会話を交わすことになっていたのだ。その煽りは田村にとって不要なものではなかったのか。僕はそんな心持になってしまっていたのだった。
 田村は逆に僕を励ますように言った。「それがクロちゃんの仕事でしょ!」。それに対してどんな言葉を返したのかは覚えていないが、自分の立場というものと改めて向き合う機会になったことは確かだ。そして、僕の中で田村隆信に対しての思い入れはさらに深くなった。

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 そんななかで、昨年の夏に鳴門でふたたびSGが行なわれることが決まった。16年オーシャン、17年グラチャンは、田村だけではなく、徳島支部からは誰も出場できていなかった。地元勢不在の鳴門SGだったのだ。エースとして、田村はそのことへの責任感も抱いていいただろう。20年オーシャンは、過去2回と同じ轍を踏むわけにはいかない。
 落ち着いて走る。それはもちろん、勝負を投げるという意味ではない。ただこれまで、勝ちにこだわるあまり、勇み足をしてしまうことは少なくなかった。それが前回の地元SGを棒に振らせることになってしまった。絶対に同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。落ち着いて走る、は自分に言い聞かせる言葉でもあった。事実、そういうなかで昨年はグランプリ出場も果たしたのだし、ボートレースバトルチャンピオントーナメントの初代覇者にも輝いているのだ。
 迎えた鳴門オーシャン。もう、その言葉にこだわる必要はない。田村はやれることはすべてやり尽くし、気持ちも解放して、待ちに待った地元SGを渾身で戦った。もちろん、僕が見る限り、今節も落ち着いていたように思う。自分に言い聞かせなくとも、浮足立つようなことなどなかった。しかし……。

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 すっかり気落ちしているだろうと思われた10Rだったが、見事に1着! 誰もが、6Rのフライングを惜しんだことと思う。はみ出していなければ、これは4勝目となっていたはずだ。地元SG制覇にぐっと近づいた、そういう勝利になっているはずだった。
 その後、ふたたび田村とすれ違うことになった。この勝利で少しは落ち着いただろうか、田村は「僕らしいですよね」と笑ってみせた。実は僕もそんなことを少し思っていた。ここぞの大勝負の場面で、時折飛び出してしまった勇み足。それが待望の地元SGでも出てしまうとは。これも田村隆信らしさなのかな。そんな思いもぼんやり浮かんではいたのだ。

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 それにしても、たぶんこれまでのフライングのなかでも最も痛い思いをした直後の1着はお見事。だから僕は言った。鳴門SGのピットで、水面で田村隆信をずっと見たかった。だから残りの3日も見続けます。田村はふふふっと笑いながら、はい、と言って去っていった。もちろんもう事故はできないけれども、田村は明日からも全力で地元SGを戦ってみせるはずだ。今日は、田村の話ばっか、しかも個人的な話ばっかですみません! ひとつの結果でこんなにも落ち込んだのは初めてでした。僕も明日からも、鳴門SGを全力で戦います! 今日はこれでご容赦ください!(PHOTO/池上一摩 TEXT/黒須田)