【10R】
●レース前
展示が終わって、それぞれが工具を整備室に置きに行ったりなどし、空気が落ち着き始めた頃。
「めっちゃいい!」
背中から声をかけてきたのは笠原亮だ。彼が、この言葉を口にしたときには、本当にいい! 笠原がもっとも力を出せる仕上がりになったことの証なのだ。こういうときの笠原は、まったくもってコース不問。こっそり買った6-全-全の期待が高まる。ただし、笠原自身は6号艇ということで楽観していない。
「展示では、ですけど」
と付け加えることを忘れなかった。このメンバーで6号艇から勝ち抜くのは、いくらミスター爆発力の笠原でも容易ではないか。
●レース後
6着でゴールした佐々木康幸が、真っ先にピットに戻ってきた。これは異例のことだ。ボートを引き上げて理由が判明する。陸に上がった瞬間、佐々木のボートの底からドボドボと水が抜けていたのだ。そう、佐々木はボートに大穴があいたまま3周を完走した。おそらく1マークの湯川浩司との接触時だろう。さらにボートをひっくり返すと、さらに大量の水がこぼれ出したのだから、いつ沈没してもおかしくなかったのだ。
敗戦後は全身で悔しさをあらわす佐々木も、さすがに仕方がないとばかりに苦笑い。悔恨というよりは、不運を嘆いている様子だった。そんな佐々木に、湯川が申し訳なさそうに頭を下げる。もちろん、佐々木が湯川を責めることなどいっさいなかった。
気になったのは、峰竜太の表情である。2着で優出。これでSG3度目の優出になるが、すべて準優2着でのものである。これまでは、敗れたことへの嘆きよりも、優出の歓喜のほうが強く表に出ていた。しかし、今日の峰は顔をしかめていた。首をひねる場面もあった。これまでの優出時とは、歓喜と悔恨の比率が正反対だったのだ。これはもちろん、いいことだと思う。
「2着はありましたね……」
笠原が渋面を作って話しかけてきた。自力で攻めていきたい思いが強すぎて、1マークでは少し行き過ぎてしまったという。待って差せば、2番手浮上の展開はあった、と自己分析しているようだ。しかし、その攻めっぷりが笠原の魅力。本人は未熟というが、こうしたレースを続けていけば、必ず展開が味方する場面を迎えるはずだ。とはいえ、こうした反省を繰り返すごとに、彼の悔しそうな表情を見ることにはなるだろうけど。それもまた笠原らしさだ。
●優出会見
峰によると、起こしでブルが入ったのだそうだ。今節初めてだそうで、少し焦りが生じたようである。ターンにも不満は残ったようで、さらに「緊張のせいかもしれないけど」と付け加えながら感触がいつもと違ったとも語っていた。レース直後の悔しそうな表情は、そうしたもろもろが顔つきに出たもののようだ。優出でなお満足しない。やはり峰竜太はひとつ上のステージに上ったと確信する。
坪井康晴は、いつもどおり淡々と、また整然と質問に応える。クールでクレバーな印象は、いつもと変わらない。ちなみに、足色は「深くなったので(スリット)全速ではなかったけど、伸びられる感じはなかったですね。バランスがとれてます。これまでの地元SG優勝(2度)にヒケはとらないデキです」とのことである。
少し言葉に力がこもったように思えたのは、宝とも表現する仲間への思いだ。
「11Rキク、12Rヨコが優勝戦に乗ってくれたら嬉しい。3人で乗るのが、昔からの夢でしたからね。応援します」
静岡82期三羽烏は、レースが分かれて準優進出。その先陣を坪井が最高のかたちで切ったことで、快挙の予感は高まっていった。
【11R】
●レース前
10Rの展示が終わって、11R組が展示ピットにボートを移動する。ボートを係留して装着場に上がってきた石渡鉄兵の表情は、緊張感にあふれていた。といっても、いつも淡々としているし、それほど感情の起伏を表にあらわす人ではないので、もしかしたら平常心だったかもしれない。だが、優しい人柄の石渡の口元が鋭く結ばれているあたりは、レース前に闘志を高めている証しであろう。
●レース後
菊地孝平の表情が、なんとも微妙だった。坪井に続けて優出を決めた、それも2周2マーク、瓜生正義を渾身の差しで逆転してのものだったのだから、もっともっと騒いでもいいし、笑顔になるのが普通だと思う。だというのに菊地は、少なくとも笑顔ではなかった。目を見開き、出迎えた仲間には睨みつけるように強い視線を向け、そして少し疲れたような顔つきでもある。大接戦を制した疲れをおどけて表現しているのか? とにかく微妙な表情だった。
もしかして、興奮している!?
そう思える瞬間があった。5日目はレースを終えた選手のボートを洗剤で洗浄する日。準優後も当然、他の選手たちも総出で行なわれる。坪井はやはり菊地のボート担当。洗剤を浸したスポンジをもって、ボートの周囲を磨こうとしていた。その坪井の前に、菊地は立ちはだかった。たまたま菊地とぶつかったと思ったか、坪井は進路変更しようとする。すると菊地は、その方向に体を移動して、ふたたび立ちはだかった。ここで坪井は気づく。菊地と視線を合わせる。菊地の顔がさらに微妙なものになっていく。つまり、実はめちゃくちゃテンションが高くなっているのだ。三羽烏優勝戦揃い踏みの第二関門を自身が突破し、夢に近づいた瞬間。菊地の興奮を誰が止められようか!
●優出会見
「ヨコとは何度も足合わせをして、僕のほうが分が悪かった。正直、3人のなかで優出がいちばん微妙だと思っていたのは僕だったんですよ」
興奮するはずだ。夢を阻むとすれば自分の可能性が高いと菊地は考えていたのだ。全身全霊の走りで、あの瓜生を逆転しての関門突破。「バックで一回泣きそうになった(笑)」そうだ。興奮しなけりゃおかしいくらいだ。会見では、その興奮を抑えるかのように、うつむき加減でじっと一点を見つめて、質問に応えていたが、でも声が弾んでますよ、菊地選手! 菊地は、12Rでヨコが優出を決めるだろう、つまりは夢がかなうだろうと信じて疑っていないようであった。
1着の渡邉英児は、ひたすら笑顔である。人の好さをあらわすように、笑みを絶やさずに話をする渡邉。そのうえに快勝、地元SG優出の喜びが加わっているのだから、笑顔があふれて当然である。
ただ、スタートについては、少し悔やんでいるようだった。出走直前、向かい風が少し弱まり、それがアナウンスされた。「それを聞いて、いつもの病気が出ましたね(笑)。気持ち的なものだと思います」と弱気なスタートとなってしまったわけだ。だが、優勝戦前にそれを経験できたのは大きい。優勝戦では弱気の虫を意識的に押さえ込めばいいからだ。「レースのしやすさ、かかり、舟の向きがいい」とまさに英児向きの足が完全に仕上がっているだけに、2コースからくるりと差す場面は充分に想像できる。
【12R】
●レース前
実は、最後の最後までペラ調整をしていたのは、横澤剛治である。10R発売中まで、ペラ室にこもっていたのだ。11Rの展示が終われば展示ピットにボートを移動しなければならないので、まさしくギリギリまで妥協をしなかった。三羽烏で最後に出走する横澤は、夢の完成を担う立場になることを自覚していたのだろう。
レース直前、水面際でストレッチをしている桐生順平がいた。これは彼のルーティンのようだ。耳にはイヤホンがささっている。お気に入りの音楽を聞き、体を動かして精神統一。桐生はそうして闘志を高めているわけだ。
●レース後
本当にツラいレース後だった。まるで世界の終わりを迎えてしまったかのような表情をしている男が3人もいたから……。
呆然とし、泣き出しそうな表情さえ見せる菊地孝平。硬直して心ここにあらずの顔つきになっている坪井康晴。そして、もはや表情すらなく、目に力もなく、最大の悔しさに耐えている横澤剛治。
夢はかなわなかった。目前でするりと逃げていった。横澤が、最後の最後まであきらめることなく猛追を見せていたから、悔しさはなお倍加する。手が届きかけた宝物を逃すことほど、心を闇に突き落とすことはないだろう。ピットには、関東勢が桐生に送った拍手も響いていたが、きっと3人の耳には届いていなかったはずだ……。
●優出会見
もはや井口佳典に死角なし、ではないだろうか。とにかく、自然体。重圧などまるで感じない。そりゃそうか。賞金王決定戦の1号艇を経験している男なのだ。それを克服している男なのだ。もちろん今日の準優だって、腕を固まらせるような妙な緊張は絶対にしていなかったと思う。
桐生は、会見が始まった当初は、どこか戸惑っている様子を見せていたが、慣れていくにしたがって、だんだんと饒舌にもなっていった。
「スタートは見えてます……たぶん(笑)。たぶんがつきます。今日で自信をなくしたんですよ」
「登番4444なんで、4号艇はいちばんいいと思います」
「準優は楽しもう楽しもうと思ってました。だから明日も楽しみたいですね」
準優を楽しもうとしたことについては、蒲郡の高橋“ズバッとぉ~っ!”貴隆アナからいただいた情報を付け加えておきたい。桐生は昨日1号艇を迎えるにあたってめちゃくちゃ緊張したそうだ。夜眠れないほどに。そんな桐生に西山貴浩が「世の中には戦争で苦しんでいたり、死の淵に瀕している人もたくさんいる。それに比べれば1号艇がなんだ。そんなもんで緊張するな」とアドバイスをしたのだそうだ。ずいぶん大きな話を持ち出したもんだとも思うが(笑)、それで桐生はすっかり楽になったのだそうである。準優だって、明日の優勝戦だって、西山が持ち出した話に比べればどうってことない、のだ。
今節、桐生と西山は行動をともにすることが多く、じゃれ合うシーンもずいぶんあったが、こうした魂の交流があったわけである。
ちなみに、レース前に桐生が聴いていた音楽は何だったのか。
「グリーンのキセキ(のカバー曲)ですね。奇跡が起きればいいと思っていたら、起きましたね(笑)」
桐生の優出を奇跡と思っている人なんて、一人もいないと思うけど。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)