当初は、「あ、茅原がエンストしてる」程度だった。ピットの空気も穏やかなものだった。ドリーム戦の待機行動中、茅原悠紀のエンジンが止まった。当然、茅原は急いで再始動。普通ならここでエンジンがかかって、茅原は進入争いに加わっていくわけだが、今日は少し様子が違った。なかなかエンジンが動き出さないのだ。ここで、「うわっ、大丈夫か」という空気に変わる。
茅原はエンジンを持ち上げて、スターターロープを引いた。かかった! 激しい水しぶきとともに、茅原のボートは前に進み、茅原は3コースに収まっている。ところが。茅原のモーターが再度ストップする。もう間に合わない! これはもう出遅れ確定だ。ピットはこのとき、悲痛な空気になっている。
ところが、その直後にピットはまた別の空気に包まれた。スタートしたはずの5艇が速度を落としたのだ。えっ、どうしたの? 何が起きた? 5艇は踵を返して、ピットに向かってくる。再発走!? 僕個人の感想としては、何のことかわからなかった。というのは、この事象=いったんスタートが切られたのにレースが中断するというのを、僕自身は初めて見たからだ。茅原は出遅れではないの? 再発走になれば、茅原は普通にレースに参加できる? これが競技規程第14条に記されている「ピットアウトのやり直し」に該当する事象だったことがわかったのは、記者室に戻ってからのこと。この規程自体、ちょいと事情があってまさに今朝、目にしたものだったのだが、12Rが当てはまるとはすぐに結びつかなかった。珍しい事態ではあるが、ルールには記載されているものだったのだ。
これは、他の選手たちも同様だったようだ。5艇がピットに戻ったのだから、再発走は確実。では茅原は? いち早くボートリフトのあたりに駆けつけた吉田拡郎は、後輩はレースに参加できるのではないかという希望を持ったようだ。それに対して「レスキューに曳かれた時点で欠場らしい」と告げたのは菊地孝平。選手班長もこの事態に、拡郎とともに(もしかしたらもっと前に、だったかもしれない)リフトに駆けつけている。関係者にその事実を伝えられていたのだろう、それを拡郎にも説明したかたちだ。そう、茅原のもとにはレスキューが駆けつけ、ピットに曳航している。エンジンがかからないのだから、当然の措置。茅原の艇は、事故艇として扱われることになる。拡郎の不安げな表情は、さらに深くなった。
気づけば、リフトの周りには選手たちが鈴なりだった。茅原のボートはレスキューにより、リフトのすぐ脇にある係留所につけられた。みな、心配だったのだ。何が起こったのか、気がかりだったのだ。さまざまな支部、さまざまな選手が、眉間にシワを寄せて状況を見守っている。赤岩善生は、係留所を見下ろせる位置に陣取って、様子を見守っていた。すぐに検査員さんらがモーターを点検する。ちなみに、選手たちは誰一人として、係留所には降りていない。中断したとはいえ、レース中である。他の選手たちが接触するのは許されないのだ(その後、ボートを陸に上げたときにも、集まっていた選手はいったん解散させられている)。遠目に見守るしかないのだ。赤岩は「プラグ(の異常)か?」と呟いた。エンジンを知り尽くした男・赤岩の言葉には説得力がある。プラグに何か起こったのか……?
ところが、原因は意外なところにあった。燃料をタンクから供給するパイプが食い込んで圧迫された形になっていたのだ。つまり、モーター内部に燃料が供給できなくなっていた。ボートが整備室に運ばれた後に、モーターを覗き込んでいた選手が「ああ~」と得心したようにうなずいていたが、なるほど、それではエンジンはかからない。言ってみれば、赤岩でも想定できない事態が起こっていたわけである。
実は、僕はその時点では、その理由についてはわかっていなかった。後で聞かされたときに、納得できることがあった。レース後で言えば、勝った白井英治の表情が冴えなかったこと。珍しい“事故”があったレース後に笑顔は見せられないということか……なんて漠然と考えていたが、白井が微妙な顔つきになるのは当然だったのだ。最初の待機行動で、ピット離れ遅れた白井が小回り防止ブイを回った直後くらいに、茅原のボートを後部から突いたのが見えていた。そのときは、それを視認した程度で流していたのだが、これが大きな出来事だった。燃料パイプを圧迫する原因となっていたのだ。白井には、あれがもしかしたら……との予感があったのかもしれない。そしてこれは、痛恨の“一瞬”だった。
「1号艇白井選手は待機行動に於いて、2号艇に追突し2号艇を欠場いたらしめた事により賞典除外処分とする」(審判コメント)
レース直後の白井はその処分を知らなかったわけで、グランプリ勝負駆けの道を閉ざすこととなってしまった白井の胸中はいかばかりか……と想像するしかないのだが、その何分の一かの心痛はレース直後にもあったように見えた。無念と言うしかないだろう。
無念はもちろん、茅原も同じだ。前検で泣いていた機力劣勢状態は、一日かけた調整でかなり解消されていたようだ。にもかかわらず、おそらく茅原自身、何が起こったかよくわからない状態で、戦線離脱しなくてはならなくなった。だからレスキューに曳かれて戻って来てからの茅原は終始、表情が固まったままだった。検査を受けている最中も、ピットに上がってからも、着替えを終えて整備室に駆け込んだときも、蝋で固められたかのように、表情を動かさなかった。出遅れは選手責任外で、賞典除外にはならない。得点は0点だが、まだ終わってはいないのだ。しかし、ツイてない……という思いは、少なくとも今日は残る。明日は残り5走で予選突破を果たすべく前を向いているとは思うが……。
なんだか今日はいろいろあった。めでたいところでは山田雄太の水神祭。すみません、不意打ちで行なわれたようで、僕も立ち会えなかったし、中尾カメラマンも撮影できなかった。とにかく、おめでとう。14年の努力がひとつ報われた瞬間だっただろう。
守田俊介が6R快勝後、ボートリフト手前で沈没するという出来事もあった。1マークで接触した際にボートに穴があき、レース中の高速航走中はあまり影響がなかったが、リフト目前で減速し、低速航走になった途端に穴から浸水してしまったのだ。これがエンジン吊りに出てきた選手の目の前で起こったことだっただけに、守田には悪いが、選手たちは爆笑。石野貴之は「笑うてはあかんとこやけど」と顔を隠しながら笑い、石田政吾はびしょ濡れになった守田の両肩を掴んで大笑いしていた。キモリヤンのキャラでしょうなあ。なんだか和やかな空気だった。
他では、4艇Fもあった。王者の連勝もあった。田中信一郎の豪快まくりもあった。ほんと、いろいろあったのだ。とどめが、ドリーム戦の珍事。結局、衝撃が大きかったからか、そればかり書いてしまいました(ドリーム戦でも激しい3着争いってのもありましたね)。一言、白井も茅原も切り替えてがんばれ!(PHOTO/中尾茂幸 TEXT/黒須田)