「今日はなんにもしません」と言っていた今村豊は、本当に何もしていなかった。8R発売中に試運転を2、3周。これにしても、10R発売中のスタート練習のためにボートを下ろし、ちょっとした確認のために数周走った程度のものだったようだ。昨日と感触が変わらないことを確認した今村は、ただただゆったりと、優勝戦の時を待った。スタート練習では江口晃生が100m起こしの2コースを見せたり、スタート展示でもスキあらばインの動きを見せたり、それによって今村の起こしが100mになったりと、駆け引きを仕掛けられてきたけれども、結局のところ、今村はまるで動じなかった。ひたすらレースに集中する一日を過ごしたことで、心のほうも完全に仕上がっていたということだろう。
他の5選手も、もちろんベストは尽くした。江口晃生は進入で「すんなり2コースにはしない」という意思を見せた。ペラ調整も、午後の遅い時間帯まで続けていた。仕上がりに不安はなかったはずだ。三角哲男もペラ調整に熱心だった。チルトを+0・5度に跳ねたこともあって、一矢報いるための手立てはしっかりと整えていたわけだ。
大場敏は、わりと早い段階でペラ調整を終えて、やはりレースに集中する時間を過ごしている。意外や意外のGⅠ未制覇、今回は念願を果たす絶好のチャンスだった。それを自覚していたからこそ、闘志を込めて調整をした。悔いなき仕上げはできたはずだ。同県の野長瀬正孝にしても同様だろう。江口と同じくらいのタイミングまでペラ調整に励む姿を目撃している。さらにさらに、渡邉睦広も同じだ。初めての大舞台に怯むことなく、やれることはやり尽くした。6コースでも諦めずに、やれる調整をしっかりとやった。
そのうえで、誰もがベテランらしい余裕を見せてもいたし、レースが近づくと表情はどんどんと精悍になっていっていた。展示準備に向かう際、渡邉がなんとも鋭い目つきで水面を見つめていた。ナイスガイ睦広が、完全にウォリアー渡邉になっていた。江口も時間を追うごとに笑みが消えていった。今日はなぜだか江口とすれ違うことが多く、そのたびに江口はこちらに会釈してくれたり、時には声をかけてくれたりしていたのだが、最後の最後、12R直前はまったく笑みはなかった。気合がマックスになった、と思った。江口を本命にした僕は、予想が当たるだろうと確信したほどだった。
先頭ゴールを決めてピットに戻った今村は、地上波放送のインタビューに応えて、「完っ璧です」と第一声を放っている。百戦錬磨の猛者たちがやれることをやり尽くしても、この人に完っ璧を演じられたらなすすべはない。今村は、確かに今日は何もしていなかった。しかし、何もしないということが、今村が今日、やるべきことだったのだ。つまり今村もベストを尽くした。そして、完っ璧なレースをした。今村が勝つべくして勝った、完っ勝のレースだったのである。
共同会見では、会場に入るなり、「だから今日は急がなきゃいけないから、会見は受け付けないって言ったでしょ!」と今村節。昨日の「明日の勝利者インタビュー、やっちゃいますか」からの二日がかりのギャグである(笑)。会見で今村は年齢のこと、若い選手たちとの比較などについても殊勝な態度で話していたが、いやいや、これだけ強い今村豊を魅せられるのだから、引き気味のコメントは我々が許しません! これからもSGで今村節を全開にしてほしいし、「結果として出られればいい」と言っていた下関チャレンジカップには、絶対に出てもらわなければ困ります!
とにかく、今村豊があまりにも強かったマスターズだった。45歳以上となる来年はこうはいかないかもしれないが、それでもマスターズの主役にもっともふさわしいのは、やはり今村豊である。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)