優勝戦のレース前、篠崎元志が胸を押さえて苦笑いしていた。「自分のレースより緊張しますわ」。思わず脈をはかってみたら、たしかに早い。レーサー仲間という意識は吹っ飛び、家族という感覚しか元志にはないようで、それからしばらく経ってピットアウトを迎えたとき、元志は神妙な顔つきで水面を見つめていた。
篠崎仁志の差しが届かず、もはや勝ち筋がなくなったと見えたとき、元志の顔は力なく硬直していた。1号艇に石野貴之がいて、仁志は4号艇で、勝てる確率は決して高くないことはわかっていても、現実を目にすれば落胆するのが当たり前。それこそ、自分がSG優勝戦で敗れたときよりも、落ち込んでいるように見えた。
仁志の表情もまた、せつなかった。敗れた選手たちは、ピットに戻るとすぐさま、リプレイを映し出すモニターに群がっている。仁志は、その輪から真っ先に離れた。泣き出しそう……は大げさな言い方になってしまうが、兄同様に脱力したような顔つきで、ただただうつむくだけだった。準優のあとは眉間にシワを寄せた仁志。今日はその表情も出なかった。悔恨より落胆。仁志がどれだけ勝ちたかったのかを、改めて痛感させられた。
一方で、岡崎恭裕はとことん悔しがった。モーター返納を終えて整備室を出るとき、顔をゆがめて「完敗や!」と叫んだのだ。実際は、展開の綾もあったかと思う。スリットからのぞいていった丸岡正典が内に寄せていった分、まくり差すスペースが消えていた。とにかくまくり差しを狙っていたのだとすれば、思わぬ展開になったと言える。丸岡が差しに構えるやまくっていったタイミングは、レースを見ていて「決まるか!?」と思えるものだった。レース後、石野は「岡崎くんがまくってくると思ったので、それだけ気をつけていた」と語っている。岡崎は完全に警戒されていたのだ。ただ、それにしてもきっちり受け止められ、しりぞけられたことは、岡崎に完敗を喫した感覚を強く植え付けたかもしれない。それは岡崎に悔恨しか残さないだろう。
しかし、その感覚を味わうことになったのは、岡崎が自力で攻めていったからである。岡崎はきっちり戦い切ったと僕は思う。「石野さんを僕が止められたら」。昨日の会見で言ったその言葉を、僕は今後も忘れない。
スリットからのぞいた丸岡正典は、叩くか差すか迷ったそうだ。結局、選択したのは差し。それが果たして正解だったのかどうか……いや、敗れたのだから正解とは考えられないか……とにかく、丸岡はそれをしばし考え込むことになるだろう。モーター返納も着替えもすべて終えて控室へと向かおうとした丸岡は、いつもの柔らかい笑みにひとつまみ、ふたつまみの苦笑を織り交ぜて、また頑張りますと言った。次は満面の笑みで、にゃはは笑いを連発する丸岡が見たい。
残念ながら見せ場が作れなかった赤岩善生と下條雄太郎は、やはり枠が遠かったか。レース後は二人で感想戦を話し合う様子もあった。二人とも納得しているとはとても思えないが、しかし笑みが浮かんだ場面もあった。お互い、少し引きつっている笑いのように見えたあたりが、思わず露わになった悔恨か。次はもっといい枠で優勝戦に。そんな思いが浮かんだのだとすれば、この先のSGでも赤岩と下條は要注意である。
僕はこのところ、SG優勝戦の日は地上波中継にピット解説として出演させていただいている。予想も披露しているのだが、時には選手が控室でこの番組を見ているようで、なかなかやりにくい。今日、リバーサルで予想を提示するとき、たまたま石野貴之がそばを通った。「予想」という言葉を耳にした石野は、ふと足を止める。そして、僕を睨みつけた。といっても、明らかに目と口元は笑っていて、ふざけて睨んできたのはわかった。それを僕は、「当然、僕を本命にするんですよね?」という意味だと受け取った。本人には確かめてないけど。それに威圧されたわけではないが(いや、威圧されてたかも・笑)、石野を本命にしましたよ。まあ、③-①という目も出してたんだけど。
ようするに、確信とは言わないまでも、自信は石野にあったんではないか、と僕は思ったのだ。1号艇のプレッシャーなどまるで感じず、自分がしっかりと仕事ができれば勝てると衒いなく思っていた。僕は勝手にそう捉えた。実際のレースでは、やや早起こしとなって全速スタートが行けず、丸岡にのぞかれるという危機的な状況もあった。しかし、それでも慌てることなく、丸岡の差し構えを確認し、岡崎の攻撃を警戒したというあたりは、それなりの自信があってのことだったように思えてならない。
だからピットに戻った石野は、歓喜をはじけさせたり、安堵の表情を浮かべたりということはなく、しかし喜びに最高の笑顔を見せながら、勝者一連の行事の準備をするのみであった。レース前にしてもレース後にしても、そこには堂々たる強者の姿があった、ということだ。
さあ、オーシャンカップにはWの3連覇がかかる。SG3連続優勝。オーシャンカップ3連覇。前者は史上3人目だが、後者=同一SG3連覇は史上初となる。石野はやはり意識することなく、目の前のレースに集中する、と言うだろうし、実際にそうするだろう。だから、もしそれを達成したときに、あるいは王手をかけたときにどんな石野貴之が見られるのか、が非常に興味深くなってきた。今日の勝利は、オーシャンカップをさらに盛り上げ、我々をワクワクさせるものだったのだ。ほんと、石野貴之はひたすらに強い、としか言いようがない。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)