BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――笑顔なき優勝戦

 吉川元浩が先マイして先頭に立ったのだが、ピットには不穏な空気が漂い始めていた。「スタート正常」。これがモニターにあらわれないのだ。耳を澄ますと、小さく聞こえる実況の声が「早いスタート……」と言っている。まさか……。
 返還①。モニターにこの文字があらわれた瞬間、明らかに空気は重苦しくなった。たまたま近くで鈴谷一平がモニターに目を向けていたのだが、気のせいだろうか、完全にフリーズしているように見えた。
 吉川元浩、フライングに散る。一般戦ではある。ビッグレースのように、SGやGⅠから除外されるものではない。ただ、単なる一般戦ではない。いや、レースのグレードに関係なく、フライングはいつでも沈痛だし、優勝戦ならなおさら。しかし、全国的に注目されるこの大会での優勝戦は、空気の重さをやはり倍加させるものだ。

 ピットに上がってきた吉川のエンジン吊りに、森永淳と峰竜太が加わっていたのは偶然だったのだろうか。近畿勢が3人出走していて、ただでさえ手薄なエンジン吊りだから、残っている地元勢がヘルプするのは自然ではある。しかし、それが選手代表と地元の絶対的エースだったことは、そこに何らかの意味を見出さずにはいられない光景であった。

 空気が重かったのは、吉川の周りだけではない。勝った茅原悠紀の周辺にしても同様である。というよりも、茅原にまったく笑顔がなかったのはやはり異常事態である。この優勝に複雑な思いが生じるのは当然だし、また吉川の心中に思いを馳せれば歓喜はやはり浮かびようがなかっただろう。特別な大会とはいえ、一般戦である。タイトルを手にしたのならともかく……そうか、特別な大会のF、しかし勝ったのは一般戦というさらに難しい心境に茅原はとらわれていたのかも。とにもかくにも、茅原の様子は優勝者のそれとはとても見えなかったのだった。

 そうそう、茅原を出迎えた長谷川雅和も沈鬱な表情だったのである。昨年のこの大会の覇者は平尾崇典。長谷川は同じように、同支部の先輩を出迎えている。そのときは、平尾が待機行動違反と不良航法をとられていたからか、長谷川が他の5選手に詫びるという珍しいシーンが見られた。ただ、先輩の優勝にどこか明るさはあったのである。しかし、今日の長谷川はやはり喜ぶわけにはいかなかったか。これがまた異常事態であることをさらに感じさせた。

 もちろん、それ以外の4選手についても同じことである。こんなにも淡々とエンジン吊りが進むなんて、やはり優勝戦後の光景とは思えなかった。敗れた悔しさもありながら、しかしこの他人事ではない事態に吉川の心中を慮っていたとしか思えなかった。唯一、2番手を同期で競り合った渋谷明憲と平高奈菜が、顔を合わせた瞬間に笑顔を交わし合ったという程度。それもまたどこか控えめに見えたのは、こちらが気にしすぎているせいなのだろうか。

 JLCの中継で解説を務めていた山口博司さんがスリット写真を手にピットにあらわれた。皆が皆、覗き込んで顔をしかめた。吉川だけでなく、全員が早いスタートだったのだ。茅原もこれを覗き込んで、しかめっ面になった。コンマ03。F2なのに凄い、と数字だけを見れば言いたくもなるのだが、しかし茅原が狙ってこのスタートを行ったわけがない。勘よりもはるかに早かったことが、茅原からさらに笑顔を奪った。

 そこに、競技本部に呼び出された吉川が戻ってきた。吉川はまず茅原に詫びた。茅原はさらに渋面となって、吉川の元に歩み寄って詫び返した。吉川は戦った相手すべてに詫びて回ったのだが、やはりすべての選手が謝り返している。皆が早いスタートだった、ということは、やはり他人事ではなかったのだ。あるいは、外が早い分、インの吉川が放り切れなかった可能性もある。誰もが責任を感じていてもおかしくはないし、だからそこには「ごめん」「すみません」が飛び交いまくった。正直、ツラい光景であった。

 そんななかで、ふっと穏やかな空気が生じたのは、松井繁が茅原をからかった瞬間である。松井はわざと膨れっ面を作って茅原に両手でバッテンを見せた。優勝とは認めない、ということ? そして次の瞬間、松井は実に優しい笑顔になって、茅原に二、三度、うなずいて見せたのである。王者なりの祝福と考えれば、あまりに粋ではないか。誰よりも修羅場を経験し、喜びも痛い思いも誰よりも味わった王者だからこそ、茅原の思いも吉川の思いもわかり切っていただろう。そのうえでの振る舞いはやはり、王者と言うしかない。

 なんだか、あまりにも痛々しい結果になってしまったが、僕は「ファン感謝」という思いが少し行き過ぎてしまったのだと理解したい。施行者さんによれば、優勝戦の時間帯は唐津では気温が下がる時間帯なのだという。11Rが25℃。12Rが24℃。展示は11R終了後すぐに行なわれるのだから、この気温差が勘を狂わせた。あまりに厳しい1℃の差……。
 そして、時間が経てば、茅原には堂々と胸を張ってほしいと思う。恵まれという決まり手ではあるが、1マークで攻めて2番手に取りついたからこその首位浮上なのである。ここで優勝すると来年1月のBBCトーナメントの優先出場権を得る。オーシャンカップ制覇ですでに権利を持っていた茅原は、この優勝でさらに選考順位を上げて、BBCを有利に戦うことができるだろう。だから、唐津バトルトーナメント覇者として、史上初の同年度トーナメント完全制覇を目指してほしい。そういう偉業への挑戦権を得たのだと捉えて、笑顔で次の戸田ダービー、来年の常滑BBCにあらわれてほしいのである。(PHOTO/池上一摩 TEXT/黒須田)