試運転から上がってきた今井貴士のエンジン吊りを手伝いながら、池田浩二がからかうように言う。
「お前~、俺を転覆させようとしただろ~」
そんなわけないじゃないっすか! 今井は大慌てで否定。当たり前だ。そんな選手は見たことも聞いたこともない。まして若手が昨年のMVPを転ばせようなんてできるわけないっしょ!
でも池田は追及をやめない(笑)。合流した瓜生正義に、チクるみたいに言う。「こいつ、俺の舳先を浮かせようとしやがった~」
ちょいちょいちょいっ!今井は困った顔で笑っていた。池田はもちろん、いたずらっ子の顔だ。
ようするに、池田は今井との足合わせの際、少しバランスを崩したようなのだ。それを今井のせいにしようとして、後輩をからかっていたという次第。
実際は、バランスを崩したのはおそらく「風のせい」である。
時を追うごとに強さを増していった風は、選手たちをおおいに悩ませた。スリット付近は強い追い風になっており、10Rでは今村豊と赤岩善生がフライングを切ってしまっている。舞うように強く吹く風は、風向も風速もコロコロと変わり、スタート勘を狂わせる要因にもなっていたわけだ。これがバックストレッチに出ると、強い向かい風になり、池田の舳先はこれにあおられて浮いたものと思われる。ドリーム戦の本番レースでも、池田はターンの出口でバランスを崩していたが、これもまた選手にとっては厄介なシロモノだったのである。
9Rではハプニングが起こった。周回展示の2周目バックで、坪井康晴が落水してしまったのだ。正確には「落水しかけた」だが、スリット裏を過ぎたあたりで強い向かい風にあおられた坪井の艇は振り込んだように一回転。坪井の体は水面に投げ出されてしまっている。ただし、ここは坪井の根性を讃えるべきだろう。ボートから手を離さなかった坪井は、自力で操縦席によじ上り、航走を続けたのだ。そのままピットに戻り、モーター等にも異常がなかったため、無事に出走。レースでは敗れてしまっているが、もし完全に落水していたら欠場だったのだから、少しでもポイントを上積みできたのは大きい。ナイスガッツである。
展示から戻った坪井は、ダッシュで控室へ向かい、ズブ濡れになった勝負服を着替えている。また、水をもらったような状態になってしまった操縦席から、アカクミ(スポンジ)で急いで水をかき出したりもしていた。そうしたなかで、レースではコンマ11のスタートを決めて先マイに行っているのだから、やはり坪井には拍手を送るべきだろう。
なお、この9Rは全艇再展示という珍しい事象にもなった。坪井はもちろんだが、坪井の様子を見て後続の5艇(坪井は1号艇だった)もスピードを緩めたためだ。そう、坪井が落水しかけたのは、まさにタイム測定のゾーン。最後まで走り切った坪井のタイムは20秒76くらい!?なんて、取材班と笑い合ったりもしたわけだが、坪井以外も全速航走でないわけだから展示タイムとして認定されず、6艇が再度タイムを測定したという次第である。まさに春の椿事。ほんと、ボートレースは何が起こるかわからない。
その9Rが終わり、さらに10Rの展示が終わったころ、田村隆信と勝野竜司が競技本部に入っていくのを見かけた。さらにその動向を、池田や瓜生が見守ったりしている。いったい何!?
「11から」
田村が池田や瓜生にそう伝えた。それを聞きつけた白井英治もやって来て、整備室へ。そう、11Rから安定板装着でレースが行なわれることとなったのである。ドリーム戦を戦う田村と勝野がその決定を競技本部に聞きに行くシーンをたまたま見かけたというわけだった。
整備室奥の部品室前に安定板が用意され、11Rと12Rの出走メンバーが集結する。さくっといちばん上を手に取って、さっそく係留所へと向かったのは濱野谷憲吾。手早く装着して、すぐに水面へと飛び出すつもりなのだろう。安定板はモーターの気配に影響を与える可能性もある。それを早く確認したいというのは、レースを間近に控えた者の当然の心情だ。
一方、松井繁は2~3枚の安定板を上下左右と眺めまわしていた。安定板にも良し悪しがあるんだろうか? もし安定板にまでこだわりがあるのだとすれば、さすが王者! などと思ったりもしたが、10秒ほどでチョイスして係留所に駆けて行った松井にそれを確認するヒマはなかった。まあ、戸田にある安定板をぜんぶチェックしたわけではないのだから、こちらの考えすぎである可能性が高そうではあるのだが。
そんなふうに、この選手を悩ませる春風は、ピットにも珍しい光景を作り出していたのであった。選手は大変に決まってるけど、見ているほうとしてはちょっと新鮮でもあったな。何はともあれ、ケガにつながるような事故がなかったことは、何よりである。
最後に、やけに混雑していた整備室。初日のレースを終えて、多くの選手が本体に手をつけ、パワーアップをはかっていた。太田和美は本体を割っており、大掛かりな整備の模様。重成一人も、工具を山ほど手にして、本体整備用にテーブルに向かっていた。市川哲也の姿も相変わらずあったな。山川美由紀も忙しそうに動き回っていた。
整備室を覗きこむたびに顔があったのは、荒井輝年。作業しているところが外からは死角になっているため、内容はまったくわからなかったが、隅のほうのテーブルで長く本体と向き合っていたようだった。パワーはかなり深刻か? とはいえ、整備士さんと人の好い笑顔で話し合っているあたりは、荒井の人柄を感じさせるものだった。(PHOTO/中尾茂幸 TEXT/黒須田)