10R まさかの……
2マークの目の前で対岸のビジョンを見ていた何人かの選手が、口を揃えて「早いっ!」と叫んだ。6艇がスリットを超えた瞬間のことだ。
やがてビジョンに「返還①③」と表示される。白井英治。新田雄史。人気を集めていた二人が、まさかのFに散った。雨模様でじめじめとしていたピットの空気がさらに重くなる。残った4艇がまだ水面を走っている間に、二人はピットに戻った。沈痛な表情を浮かべる白井。顔を引きつらせる新田。起こってしまったことは信じがたく、同時にこれがどんな事態を招くか知っているだけに後悔も襲ってくる。売上好調だった今節、そのなかで約3億円をも返還させてしまったことへの背徳感。向こう4つのSG=オーシャンカップからチャレンジカップを棒に振ってしまうことへの痛恨。もちろん優出の権利を手放したことも含めて、胸を締め付ける要素はあまりにも多い。
そうした状況のなかで、優出を決めた萩原秀人、徳増秀樹はやはり喜びを控えめにあらわすのだった。中島孝平と小さくガッツポーズを交わす萩原。静岡支部の面々と微笑み合う徳増。どんなかたちであれ、優出を果たしたことはもちろん嬉しいことだが、歓喜を爆発させることができない雰囲気というものはやっぱりある。
それでも、時間が経てば、歓喜と明日への意気込みはジワジワと沸き上がるもの。笠原亮に「明日は水神祭、行っちゃいますか!」と煽られて、徳増は力強くうなずいていた。結果的に6号艇ではあるが、コース次第ではおおいに可能性はあるだろう。萩原は、86期の思いを口にしている。1つ上に銀河系軍団という超スター集団がいる86期、彼らの中からいまだSGウィナーは出ていない。それをいろいろな人に言われることもあるようで、このあとの準優に登場する中野次郎、柳沢一とともに優勝戦を走ることを望んでいた。あと、「(今垣)光太郎さんは『ガンバレ、ガンバレ』と盛り上げて、中島(孝平)さんは『落ち着け、落ち着け』と言う」というコメント、先輩ふたりのキャラをあらわしていておもろいですね(笑)。明日は同期からの激励、先輩からのホット&クールな声援を背負って、萩原は戦う。
11R 翔太、初優出!
萩原の同期・中野次郎には、86期からの初めてのSGウィナー誕生というほかに、地元グラチャンで優勝というもうひとつの大きな命題があった。1マーク、思い切って攻めた中野だったが、しかし届かず。その瞬間、中野の思いは宙をさまようこととなった。
今日の敗者のなかで、やはり中野がもっとも悔しさをあらわにしていたかもしれない。後方を走ると前の艇の水しぶきをあびるため、レース後はびっしょりと濡れてあがってくることも多い。そのときグローブも水をたっぷり吸うため、ぐっと拳を握りしめて水を絞り出している選手もよく見かける。今日の中野もその一人。それはおそらく、ただ水を絞り出している光景と考えるべきだろう。ただ、ここが多摩川であるからこそ、そこに別の意味を見出したくなってしまう。実際、拳を握りしめて悔しがりたい気持ちはあったはずだからだ。
12R発売中、閑散となりかけたプロペラ調整室で、ただ座り込む中野の姿があった。その向かいには、やはり11Rで敗れた田村隆信がおり、浮かない顔をしていた。それは自身の敗戦を憂うというよりは、中野を気遣う表情にも見えた。精一杯戦ったからこそ、より強く沸き上がる悔しさがある。中野は今日、どんな夜を過ごすのだろうか。
勝ったのは太田和美。フライング後のレースなのに、コンマ01! 全員がゼロ台というスリット合戦になっていた。選手や元選手の話を総合すると、10Rにしろ11Rにしろ、気温が下がって回転が上がり、また風もそれほど強くなく水面が良くなったことで、思いのほかボートが前に進みスタートが届きすぎたのではないか、とのこと。気象条件とも戦わねばならないのがボートレーサーである。それでも太田はしっかりレバーを揉んで調整しており、さすがの冷静さである。優勝戦ではキャリアも実績も最上位、もっとも落ち着いて戦えるのが太田だろう。
2着は木下翔太。SG初優出だ! 現時点で最も登番が若いSGファイナリスト、となった。まずはとにかくおめでとう、である。大阪ワンツーということもあって、レース後の大阪支部は沸いていた。先輩たちがイジり倒すのはもちろん翔太。次々に言葉をかけられ、笑いが起こる。その輪の真ん中で、照れくさそうに笑う木下。いずれこの舞台に立つはずの男ではあったが、その日を迎えられたことは感慨深いだろう。感慨深いといえば、木下が子供の頃からよく知っているという、レジェンドアナウンサー・内田和男さんが木下の初優出に感動の面持ちだった。SG初出場のときも感慨深そうにしていた内田さんだけに、優勝戦の舞台に立つ木下を見るのはなお胸が熱いだろう。翔太、こうなったら明日は内田さんを泣かせちゃえ!
12R さあ、86期SGファーストウィナーへ!
柳沢一が逃げ切ったとき、僕がまず思ったのは原田幸哉のことだった。10R、4着に敗れた原田は、無念の表情を隠そうとはしなかった。愛弟子とともにファイナルの舞台へ。それを強く願ったはずが、かなわないことが決まってしまった。原田にはどこか疲労感も漂っていた。
それでも、愛弟子が明日、1号艇で優勝戦に乗ることが嬉しくないわけがない。レースの模様をちらちら見ながら原田を探すと、1着選手が入る向かって左の揚降機の前に陣取り、そわそわと柳沢を待ち受ける姿があった。凱旋した柳沢に、まずは拍手!「まだ喜びすぎるのは早いよ!」と菊地孝平に突っ込まれ、あ、そうかと笑う原田。ハジメちゃん、でかした! そんな思いで柳沢を出迎える原田であった。
それでも、声をかけると真っ先に出たのは「一緒に乗りたかった~」。柳沢がしっかりと優出を決めただけに、やはり敗れた悔恨がぶり返したようだった。「一緒に乗りたかったから、本当に悔しい!」。レーサーとしての魂が、前面に出たのだ。ただ、やっぱりハジメちゃんの1号艇での優出は嬉しい!「とにかく祈るしかない。頑張ってほしい!」。ここで師匠としての思いが顔を出す。「明日、水神祭は一緒に飛び込むんでしょ?」「もちろん!」。マジか!「じゃあ、明日は水神祭、実現させてくださいよ!」「はい!……って、それはハジメちゃんに言ってくださいよ(笑)」。そりゃそうか(笑)。明日は悔しさを振り切って、愛弟子の背中を精一杯押すことだろう。優勝戦の時、原田がどんな振る舞いを見せるのかも楽しみになってきた。
その柳沢は、プレッシャーに怯まず逃げ切って、明日はさらに大きなプレッシャーがあるはずの状況になったにもかかわらず、レース後は淡々としたものだった。それは豪胆にすら見えた。実際の心中はともかく、その様子だけ見たら明日も冷静沈着に戦えるのではないかと思ったほどだ。記者会見でも淡々と話し、浮足立ったところは少しもない。なにしろ、歓喜を爆発させてもいない。喜び方の度合いでは、師匠のほうが完全に大きいのだ。
その会見では、萩原同様にやはり、86期のことを語っている。
「中野くんも一緒に乗りたかった」
柳沢もまた、同期への思いは強いのだ。86期3人が準優3個レースに分散することになったとき、きっと一緒に勝ち上がろうという願いが生まれたことだろう。そのなかから中野だけが優勝戦に乗れなかった。中野自身も悔しいが、柳沢もまた残念な思いを抱えたわけだ。……………って、師匠は!?(笑)まあ、あえて名前を出す必要がないほど、絆は強固なのだということだろう。
2着で優出は坪井康晴。峰竜太を競り落としての優出だから価値は高い。その坪井も、人の好い笑顔を浮かべながらも、淡々とした様子であった。静岡支部は徳増とともに外枠を占めることとなった。レースのキーマンとなるのは坪井と徳増かも! こちらは水面でガチンコ勝負をすることで同支部の絆を確認し合うことになる。ちなみに、坪井がグラチャンを制することになれば06年以来13年ぶりのグラチャン制覇だ。当時は20代だった坪井が不惑を超えてどんな戦い方を見せるのかも実に楽しみである。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 黒須田 TEXT/黒須田)