「ヴァァァァァ！ 放り放り行っちゃったよ～っ！」
敗戦を悔いる菊地孝平の叫びがピットに響いた。スタートを全速で行き切れなかった、のだ。スリット後に伸びを活かすなら、全速スタートが至上命題だった。また、スリット写真を覗き込んで、徳増秀樹との差を見たことでもう一丁、悔しがった。最も悔しさをあらわにしていた敗者は、菊地孝平だった。
そう、徳増と同支部の菊地が！ 先輩のＳＧ初優勝を祝福するよりも、自身が不本意なレースで終えてしまったことをただただ悔やんだ。自分が優勝し、徳増の初Ｖを阻止することしか考えていなかったのだ。まさしく静岡版仁義なき戦いなのだ。
峰竜太は、走って控室へと戻る際、こちらのカメラに気づいたのか、写真のような顔つきを見せた。これだけ見たら、相当に悔しいという表情である。でもね。
すぐ次にはこんな顔つきになっていた。めちゃ笑ってるやん！ ようするに悔しそうな顔を作ってみせたのだ。峰竜太、悔しくなかったのか？
そうではない。峰もスリット写真を覗き込んで、天を仰ぐように「もっと行けたじゃん！」と悔いた。モーターの返納作業の前に行なう洗浄作業（宮島水面は海水なので、真水で塩水をしっかり落として、さび止めの油を吹きかけたりするのだ）の間、呆然と立ち尽くしてもいた。まさに、腹の底に悔しさが渦巻いているときの様子だ。峰もまた、自分の手で徳増の初Ｖをストップしたかった。他人の初優勝を戦前から願っているわけがないのだ。
上野真之介、羽野直也、新田雄史の３人も、それぞれに悔しさを噛みしめていた。上野にしても羽野にしても、ＳＧ初優出でとりあえずはいい経験をしたなとどは、明日や明後日に振り返った時に感じることはあるかもしれないが、レース直後にはない。新田も６号艇６コースだから仕方ない、とちょっとは思っているかもしれないが、足の差もあわせて、不本意なものを抱えたのだ。
徳増秀樹、完勝！ コンマ05の完璧なトップスタートから、鮮やかな先マイターンで後続を寄せ付けなかった。ＳＧ初優勝だ！
徳増がバックで先頭に立った時、ピットには大きな大きな拍手が鳴り響いた。残っていた選手は、九州勢、静岡勢と三重勢（と言いつつ、そのときピットにいたのは１人ずつ）、地元の前本泰和とそれほど多くはなかったが、坪井康晴一人の拍手であれだけの音量にはならない。姿を見つけることはかなわなかったが、おそらく全員が拍手したのだろう。
ピットに凱旋した徳増には、残っていたほとんどの選手が祝福の握手を求めていた。徳増を打ち破ろうとしていた敗者たちも含めてだ。もちろん、あれだけ悔しがっていた菊地も同様である。そう、実に巨大な祝祭空間がそこには出現していたのだ。
45歳７カ月でのＳＧ初優勝は、歴代５位の年長記録。遅咲きとも言えるし、ここまでさまざまな苦労もしてきたはずだ。それを間近で見てきてもいる選手仲間たちは、努力を結実させた徳増の初Ｖを心から祝った。そこかしこに残っていた敗者たちの悔恨の残り香は、徳増が笑顔でピットに戻った瞬間、マスターズ世代のニューヒーロー誕生の祝福でかき消されたのである。
会見で徳増は言った。「賞金王に毎年出られる選手になりたいし、いつかは賞金王を獲りたい」。この言葉は、普通なら20代の若手が口にするものだろう。それを徳増は、衒いなく口にする。「これまでを振り返れば、今が最強かもしれない。でも、明日、それを超えたい」とも言った。マスターズ世代なのだからすでにベテラン、しかし今がピークとは少しも思っていない。もっともっと強くなれる、強くなりたい。そんな思いが徳増を突き動かしているのである。なんたって、「あと30年走らせてください（笑）」とまで言うのだ。実現すれば、加藤峻二さんの最年長現役記録を超えるぞ。よし、僕は必ず見届けるので、徳さん、頼みますよ！ 元気に年をとりましょう！
そんな徳増のキャラを多くの選手が愛している。それがあの「めでたさ満開のピット」を生み出したのだろう。徳増といえば「濃くいきます」だが、レース後のピットはとにかく幸福感が濃かった！ ウィニングランから戻ってカメラの放列に向けて繰り出した、万感のこもった敬礼も濃密だった！ うん、この場に立ち会えて、僕も幸せでした。
ＳＧ初優勝だから、もちろん水神祭！ これを絶妙に仕切ったのは、もっとも悔しさをあらわにしていたはずの菊地だった。気持ちを切り替えたなら、先輩のＳＧ初優勝を渾身で祝福するのみ！ 徳増、坪井のスリーショットも進んで作っていた。素晴らしい！
で、何しろ残っているのが菊地と坪井だけなのである。ここで菊地のスカウト魂（？）が炸裂した。宮島ボートの関係者、医務室の先生、何人かの記者さん、さらには宅急便のお兄さんにまで声をかけて、水神祭のヘルプをお願いしたのだ。というわけで、前代未聞の選手以外も参加している水神祭！ 外から眺めると、実に不思議な光景となっておりました。
ウルトラマンスタイルで持ち上げられた徳増は、水面に投げ込まれると「気持ちいぃっ！」。今日も気温は上がったし、ＳＧも獲れたし、そりゃあ最高に爽快ですよね！ その笑顔もまた、実に濃かったのでありました。
というわけで、徳増秀樹、おめでとう！ これからもますます濃く、ますます強い徳増秀樹を見せてください！（ＰＨＯＴＯ／池上一摩 黒須田 ＴＥＸＴ／黒須田）
