BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――圧倒的

 ぅわっ! スタートの瞬間、悲鳴にも似た声があがった。インコース発進の菊地孝平。他5艇よりも明らかに1艇身は前にいたのだ。こ、これは早すぎではないのか……。屈指のスタート巧者である菊地であっても、これだけ他艇より突き抜けていればさすがに不安に襲われる。本人というより、見ている者たちが「まさか……」の思いにとらわれるのだ。
 菊地が先マイを決めてバックに出ると、すぐに対岸のビジョンには「スタート正常」の文字が点灯した。その瞬間、「これはエグいスタートだぞっ!」と誰かが叫んだ。死角から聞こえてきたので誰なのかは断言できないが、声の太さから徳増秀樹ではないかと推測された。後輩が決めて圧倒的なスタートに思わず興奮の声をあげた、と考えれば納得だ。

 先に数字を書けば、コンマ02である。そして他の5艇はといえば、ダッシュ3艇が揃ってコンマ20。スロー勢もコンマ20よりやや遅かった。45mあたりでさすがに早いと思って少し様子を見たそうだが、外がまったく来ていないのによくぞ一人でこのスタートを決めた! 菊地自身は「行き過ぎた」「余裕があればここまでは行っていない」と会見で語っているが、それはあくまでスタートタイミングの話。素人考えかもしれないが、他艇が1艇身も後ろにいれば「まさかフライング?」と放りたくなるものではないのか。それを菊地は、自分の体感として早いと感じて放りはしたが、他艇には惑わされずに圧倒的なトップスタートを決めたのだから、その腹の据え方と自分を信じる力が図抜けていたと思うのである。

 レース後、これも誰の声かは判然としなかったのだが、「2等獲りにいったわ」という声が聞こえてきた。そう、敗者の声。そして、何人かの選手が「(菊地は)切ったかと思った」と、驚きとともに語っていたのも聞いている。そう、2等を獲りにいったというのは、2着でいいと思ったのではない。先に回った菊地に次いで2番手を走っていれば、もし菊地がFだったとき自分が先頭に浮上するということなのだ。そうなのだ。菊地のスタートに関して、戦った5人もまた驚いていたということである。そして1艇身も前に行かれたことで、早すぎるのではないかと訝った。そして、自分にできる精一杯のことをやったのだ。

 しかし、菊地はきっちりとトップスタートを決めていた。形としては圧勝である。だから、敗れた選手たちの表情はほぼ一様に、苦笑いなのだった。自分がもっと好タイミングを決められていたら、という悔いは拭えないだろうが、気候も変わり、風も変わり(追い風1mとなっているが、ほぼ無風のベタ水面!)、そして進入も動きがあるという難しい局面。他5艇もベストを尽くしたと言っていいと思う。そんななかで“彼らしい”快スリットを放った菊地に対して、脱帽という思いもあったのだろう。それくらい、菊地の放ったショットはとびきりに鋭かったのだ。

 結果を見れば、スリットの時点で勝負アリと見えるが、菊地自身は決してそうは考えていなかったようだ。やはり寺田祥の伸びには警戒を抱いていたという。また吉川元浩の攻めも想定していたようだ。もちろん前付けを見せた松井繁と赤岩善生の存在も脅威だった。谷村一哉も6コースとはいえ、寺田が一気に伸びれば展開はある。あれだけの大差のスタートを決めて先に回れば、当然後ろがどんな展開かはわからない。だから、まくられていないのは実感していても、誰かが差してきている可能性を考えて、内のほうを確認したそうだ。誰も差してきていないとわかって、ようやく勝機をつかんだと実感した。その冷静さ、あるいは1ミリも油断をしていなかったというハートの強さもまた、勝因のひとつだろう。スタートが大きな勝因には違いないが、決してそれだけの勝利ではなかったのである。

 これで菊地は、マスターズデビューの年に名人位に就いた。ちょうど10年前、2014年のマスターズ覇者は金子良昭。菊地の師匠である。そう、師弟で名人! 会見では師弟でこのタイトルを獲れたことへの喜びを語ってもいた菊地。その称号を得て菊地はさらに勢いを増すことになるのか。このタイトルを獲ってその年にグランプリを制することがあれば、これはまぎれもない偉業! ここから一気に加速していくSG戦線、グランプリ戦線において、菊地名人がどんな戦いを見せてくれるのか。まずは多摩川オールスターが楽しみ!(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)