万感の思いがこもったガッツポーズだった。
ピットに凱旋し、出迎える土屋智則や長田頼宗の姿を認めたときだ。天を仰ぎ、ゆっくりと両腕を広げ、そして掲げる。獲ったぞ、というよりは、やっと獲れた。「本当に獲りたかったタイトル」。ボートレーサーであればすべてが憧れ、このレベルともなれば現実味も伴いながら、いつか手にしたいグランプリというタイトル。毒島誠にとって、それは獲らなければならないタイトルでもあっただろう。なにしろ、6回もファイナルの舞台に立っているのだ。準Vもあった。悔しい思いばかりしてきた。だからいつか必ずと胸に秘め、それがついに結実した。毒島のなかには、今節だけでなく、これまで踏んできた道が一気に駆け巡ったに違いない。
毒島といえば、ギリペラが代名詞だ。展示ピットにボートを着けなければならないギリギリの時間まで、プロペラ調整に励む。他の5艇が展示ピットに並んでも、毒島のそれだけが空艇状態というのは、珍しくない光景だ。時間が迫り、毒島はペラ室を飛び出す。大急ぎで装着し、大急ぎでボートを移す。そんなふうにしてとことんペラと向き合い、それで結果を残すことも多々あった。そんな毒島が、今日はほとんどいの一番にボートを展示ピットに着けた。
5月オールスター。毒島はやはり優勝戦に進み、早々に展示ピットにボートを着けている。この節、毒島はほぼノーハンマーで臨んだ。毒島にしてはあまりに珍しい光景。毒島は言った。「我慢した」と。足は良かった。だから調整しすぎておかしくしないよう、本当はプロペラを叩きたい気持ちを抑え込んで、あえて何もせずに臨んだのだ。それを僕は毒島の進化だと思った。あるいは、我慢という武器を身に着けたのだと思った。
ならば今日、早々に調整を切り上げてボートを展示ピットに移したのは、「仕上がりに自信があった」にほかならないだろう。その姿を見たとき僕は、限りなく死角がない状態になった、と確信した。
それでも好事魔多しとでもいうのか、1マークはミスターンとなっている。「緊張でしょうね」と毒島は振り返ったが、初動の位置を間違えてハンドルを切り直しているのだ。だから2コースから桐生順平の差しが届いたように、対岸のビジョンに映し出されたモニターからは見えた。水面際で観戦していた多くの選手からも、「おおっ!?」と声があがっている。だが、バックに出てしばらくすると、桐生の差しが届いていないのは明らかになった。毒島が押し切っていたのだ。それはもう、仕上がりの差であっただろう。やはり毒島の足は万全になっていたのだ。ほんの少しの失敗を失敗にさせないだけの足だったのだ。レース後の毒島は、その1マークを反省しつつ「でも勝てたからいいです」と笑った。それだけの足に仕上げたのは毒島にほかならない。だとしたら、一瞬ヒヤリとはしたが、これは完勝だ。
その後のインタビューでも万感こもった表情にもなっていた毒島。時間が経つにつれ、そんな顔つきはどんどんと歓喜に覆われていった。1期違いで仲の良い長田頼宗と抱き合い、自身は4着に敗れたにもかかわらず毒島の装備を片付けに来た関浩哉と握手し、毒島はますます喜びに包まれていったのだった。
そんな喜びが! SG9回目の優勝だというのに、グランプリ初優勝ってことで、水神祭を敢行させた! 表彰式も終わって、もう9時半。ピットは震えるほどの寒さだったし、水温を確かめた土屋智則が「無理!」と叫ぶほど水は冷たかった。それでも毒島は、「お願いします!」と頭を下げながらドボン! 土屋も関もドボン! ほんっっっっとーに寒そうだったけど、でもほんとに嬉しそう!
最後は幸せな空気を振りまいて、拍手を浴びていた毒島。なんだかこちらまで嬉しくなりました。黄金のヘルメット戴冠、心からおめでとう!(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)