BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――笑顔/呆然

 やはりまずは菊地孝平について触れなければなるまい。6~7R頃の中盤の時間帯にピットに入ったときには、菊地に限らず優勝戦メンバーの全員が着々と戦いの準備を進め、緊張感もまた高まりつつあった。もちろん菊地も、気を緩める瞬間は1秒たりともないのではないかと思えるほど、集中し切った表情をしていたし、そのメンタリティはきっとアドバンテージになるのではないかと信じられた。
 優勝戦の直前も同様だ。菊地はいつもの「視線を下に据えて考え込む」仕草をしていて、それは清々しくもあり、また闘争心の高まりが見えるようでもあった。展示航走の準備に向かう足取りだって、勇ましく、力強かったのだ。
 そして、やはりメモリアルの二の轍は踏まなかった、そのスタート。コンマ08のトップスタートである。その時点までで、菊地の敗北を想像するのは難しかった。ほとんど不可能だったと言っていいだろう。

 しかし、菊地は敗れた。1マーク手前で初動を入れたとき、菊地の艇はわずかに跳ねている。それが旋回に影響を及ぼしたか、菊地はややターンマークを漏らして1マークを回った。そこを、鋭く差し込まれた。バック出口でやや接触があり、それが決定的に敗戦を決定づけたが、実際はその前に敗着があったと考えるべきだろう。
 呆然自失。ピットに戻った菊地を表現するには、その言葉しかない。完全に硬直した表情。信じられない事態が起こったという、ちょっとしたパニック状態にも見えた。対岸のビジョンで1マークの映像を確認した菊地は、差された瞬間が映し出されるとすぐに、踵を返した。固まり切った表情は変わらなかった。

 優勝戦に限らず、最終日に自分のレースを終えた選手は、モーター返納作業があるため、カポック脱ぎ場に駆け出して、大急ぎで装備をほどき、またピットに戻る。しかし菊地は、駆け出すことはなかった。いや、駆け出すことができなかった、だろうか。やはり呆然とした様子で、まるで鉛の塊を両足首に巻きつけたかのように、重い足取りでカポック脱ぎ場に向かった。信じがたい敗戦の衝撃が、菊地の足を掴んで離さないかのように、菊地はやっとの思いでゆっくりと歩を進めるしかなかったのだ。

 菊地は3着である。ダービーは、1~3着の選手がメダル授与式に登場するレースである。菊地も、儀式用のウェアに着替えて、向かわねばならなかった。しかし、菊地が歩を進めるスピードは変わらなかった。1号艇で敗れながら晴れの場に立たなければならないというその現実を、無意識のうちに拒むような状態になっていたのだろうか。そのとき菊地は、「視線を下に据えて考え込」みながら歩を進めた。もちろんその仕草は、レース前のそれとはまったく意味が違うものだろう。渦巻いているのは、あの1マークの場面しかない。そう断言できる。ボートがあの挙動をしてしまった理由がペラ調整などにあったのだ考えていたとしても、菊地の脳裏のモニターは何度も繰り返し、1マークを映し出していたと思う。

 敗者となった菊地がこんなにも痛ましい姿を見せたことは、これまでになかったと思う。メモリアルのレース後だって、ここまで見るのが辛いほどではなかった。もしかしたらキャリアのなかで最も、菊地は傷ついたのではないか。
 メモリアルでの傷を乗り越えて、このダービーでも優勝戦1号艇を手にした。そこでまた傷ついてしまったけれども、この傷を乗り越えて、次はまたおおいなるチャンスを掴む。そんな菊地孝平に期待するしかない。そして、そのときこそは、最高の笑顔を、あるいはその頬を濡らすものを、僕は見たい。

 菊地を差し切ったのは馬場貴也だ! 菊地に多少のミスはあったにせよ、馬場のあの差し技にいささかの価値の揺るぎはない。仮に菊地が完璧なターンをしたとしても、しっかり届かせたのではないか。そう思うしかないほどの、絶品な2コース差しだった。そして、それは馬場の真骨頂。馬場は自身の持てる技を最大限に発揮して、凄まじいまでのインパクトがある強烈な差しを放ったのだ。

 馬場のモーターはどちらかといえばストレート系が評価されてきたモーターで、事実、展示では好タイムを連発した。この優勝戦でも一番時計である。畠山にしても、出足系に関しては高い評価を与えていなかった。だとするなら、2コース差しは本来考えづらい。
 馬場は今日、今節ではやったことのない形にプロペラを叩いたという。それが、出足をグンとアップさせた。足合わせをした山口剛にも、出足の良さを指摘されたそうだ。その調整がハマって、出足を仕上げ、レースでは馬場の技術の粋を尽くして差し切った。まずは、最終日になってまったく違う形に叩いた勇気がすごい。さらに、それがハマったという、調整力が素晴らしい。そして、その足を完全に駆使し切ったターンテクニックが素晴らしい。これは、勝つべくして勝った勝利、ではないか!

 夏以降、馬場はSGではモーター運に泣かされてきた。1マークでは極上のターンを放って勝負圏にとりついたと思いきや、その後にズルズル下がって大きい着を獲る。そんな馬場をたくさん見てきた。畠山とも「あんなにすごいターンしてるのに!」と何度も顔を見合わせたものだ。そのときの、馬場の苦しそうな表情も忘れられない。手を尽くしても結果を得ることができないという悲哀を、山ほど味わったSG戦線だったのだ。

 このダービーでは、ついに評判機を引き当てた。ストレート系が強いというのは、本来は馬場向きではないようにも思えたわけだが、ともかく好モーターを手にすれば馬場貴也はどれだけ強いのか、というのを、予選道中でも準優でも、おおいに表現したのが、このダービーである。そして、それを最大限に常滑の水面に照射させたのが優勝戦だ。やはり、これは勝つべくして勝ったダービーVではないのか!

 レース後のピット、表彰式、そして共同記者会見で、馬場は彼らしい笑顔を爆発させた。優しく、穏やかで、人の好さそうな、素晴らしい人格を滲み出させる、素敵すぎる笑顔。夏の苦しそうな表情を思わず思い出して、僕はふと「良かったな~」なんて呟いてしまった。こんな馬場貴也の顔を見たかったのだ。夏とは対照的な輝かしい笑顔。それは、彼が苦闘を経ながらも、前を向いて奮闘を続けたからこそ、生れ出たものだろう。
 さあ、次はいつその笑顔を見せてくれるんだ、馬場貴也! それを再び目にしたとき、頭には黄金に輝くアレがあったとしても、まったく不思議ではない。!(PHOTO/池上一摩 黒須田 TEXT/黒須田)