●10R
あまりにも痛い敗戦。磯部誠だ。コンマ31のドカ遅れ。地元SG、準優1号艇。これは痛恨というより屈辱だろう。もしかしたら敗戦以上に、磯部の心を傷つけた。もちろん己のミスということになるのだろうが、だからこそ磯部はただただ傷ついた。
ピットに戻った磯部は、身体から芯が抜けたかのように脱力した様子で、何度も身をよじっていた。右に傾いたり、左に傾いたり。体幹が機能していないような、そんな有様だった。痛いのは心のはずなのだが、まるで身体のどこかを痛めたのではないか。そんなふうにも見えるほど、身体はよじれた。仲間が協力してモーターを外している間、磯部はカウルに両肘をつけ、がっくりとうなだれる。頭はなかなか上がってはこず、モーターを外して架台に乗せた平本真之が心配そうな目線を磯部に送っているのだった。
5日目のレース終了後はボート洗浄が行なわれる。ほぼ6人が同時に初めて洗浄作業だったのに、他の5人が控室へ向かってもなお、ボートのへりをこすり続けていた。まるで嫌な記憶を削ぎ落そうとするかのように。洗浄を終えて控室へ戻る足取りはひたすら重い。牛歩とまでは言わないまでも、かなり遅いスピードで、とぼとぼと、肩を落としながら、力ない歩み。磯部にとって、レーサー人生のなかでもかなり大きな痛手を味わうことになってしまった地元ダービー準優……。
その磯部をあっさりとまくって、山口剛が先頭に立った。そのまま1着ゴールで優出。昨年に続く、ダービー優出である。ピットに戻ってきた山口の、ヘルメットの奥にのぞく目が思い切り細くなっていた。まさに会心の笑顔。それにつられて、出迎えた高橋竜矢もニッコニコ顔だ。高橋は今日、SG初勝利をあげたが、そのレース後と変わらない笑顔だったのだから、山口の歓喜は周囲にも伝わっていたということだ。
一方、2着の茅原悠紀は、わりと淡々とした様子。というより、やるべき仕事をしたまでだ、とばかりに颯爽と控室へと戻っている。記者会見でも高揚感はまるで見えず、「グランプリを獲るためには(賞金ランク)6位以内で行くのが重要」という点を強調したあたり、この優出はあくまでも通過点という風情であった。雰囲気だけを言うなら、2着ではなく、1着で勝ち上がった選手のようにも感じたのだがどうか。
●11R
2番手を争っていた新開航が2周1マークで大きく振り込んでしまった。幸いレースには復帰はしたが、離れた6着大敗。ピットに戻った新開は、まさに顔面蒼白となっていた。ただし、それは敗れた悔恨だったかどうかは微妙なところだ。新開はすぐに赤岩善生のもとに走り、直立不動で頭を下げている。赤岩は新開に巻き込まれるような格好となり、事故を回避するため大きく回らざるをえなかったのだ。自分のミスで迷惑をかけてしまった。それも優出できるや否やの重要な場面で、だ。新開が大きな責任を感じるのは致し方ないところだ。
赤岩はもちろん禍根などまったく残すことなく、新開を労っている。地元、それも看板を背負っているのだと自任している蒲郡でのSGで、不運な優出漏れ。だからといって、新開を責めるところはまったくなかった。それでも新開はただただ頭を下げ続けていたのだが。赤岩も無念な思いはあるだろうが、ほぼ接触なしで事故回避ができたこともあって、サバサバとしているのだった。その後、羽野直也らに「明日は我が身ってことだ」と笑っていた。赤岩は昨日、同じように2マークで振り込んでいる。それを後続に避けてもらって、今日は逆に自分が避ける側に。選手たちはさまざまなことが他人事ではなく、またお互いを尊重し、身体のことなど気遣いながら、全力でぶつかり合う。それをよくわかっているからこそ、赤岩はむしろスッキリと敗戦を受け入れたのかもしれない。
これで2番手に浮上したのは、吉田裕平! SG初出場の若武者が、一気に初優出! 地元の砦は、このヤングに託されることとなった。ただ、こうした流れでの2着だからか、レース後の吉田はむしろ難しい顔を崩さなかった。やはり新開や赤岩を気遣う部分もあったのだろうか。なんだか自分が事故をしてしまって迷惑をかけたかのような、そんな雰囲気すらもあったのである。記者会見でも、謙虚な言葉に終始していた。節間通して、内心はともかくとして、わりと落ち着いているようにも見えていた吉田。明日はどんな様子となっているのか、ちょっと楽しみである。
勝ったのは桐生順平。赤岩の前付けに譲らず、2コースを主張するようなかたちで勝ち切ったのだから、これは完勝である。そして、レース後も笑顔は見せながらも、実に淡々としているあたりが、もう貫禄としか言いようがない。意外にもダービーは初優出。同時に、ダービーの権威もしっかりと感じていると桐生は語る。明日はきっちりと獲りに行く戦いを見せてくれるのかもしれない。
●12R
ピットに上がり、仲間に囲まれた瞬間、馬場貴也は安堵の息を漏らすかのように、苦笑に近い笑みを浮かべた。「明らかにモーターは劣勢。これでよく頑張ったと思います」と会見で語ったように、機力的には大きな不安を抱えてレースに臨むことになった馬場。それでいて、なんとかダービー連覇の権利を手にできたことは、ただただホッとする結果ということになろう。
メモリアルでは1号艇で優出し、大きな大きなプレッシャーと馬場は戦った。今度は、枠的には“真逆”の6号艇。足りない足色をなんとか埋めて、必死で戦って、優勝戦にこぎ着けた今、かなり余裕のある精神状態で戦えるのではないか。もちろん「また本体やろうかな、とか考えたり」とも言っているので、さらなる機力アップを睨みはする。そのうえで自然体で戦う馬場が、どことなく不気味に感じるのだがどうか。
10、11Rとインが飛ぶという不穏な空気のなか、峰竜太は逃げ切った。SG復帰戦で優勝戦1号艇。やはりこの男はスーパースターだ。
ところが、ピットに戻ったばかりの峰は、まったくはしゃいだりはしなかった。高揚感も見えない。キビキビと動き、対戦相手とは大きな声で挨拶を交わし、声をかけられれば笑顔も返す。しかし、それはある意味で峰らしくない、淡々とした様子、動きの中でのことなのだった。
地上波放送のインタビューがあるので、ボート洗浄を仲間に託して峰はブースに向かった。その途上で目が合ったとき、峰はプレッシャーがあるという旨のことを、明るくはあったが素直に口にした。そう、SG復帰戦に特別な思いを抱き、そこで結果を出すべく己を追い込み、そこで生じる重圧、峰はそういうものと戦っている。明日はイベントホールで公開優出インタビューが行なわれるが、そこで峰は、ファンの大声援を受けながら、ビッグスマイルでビッグマウスを口にして盛り上げるのだろう。その裏で、峰は己の心と戦っている。もちろん今は、かつてこの蒲郡で優勝戦1号艇を取りこぼしたときのような、峰竜太ではない。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)