辻栄蔵、坪井康晴、石野貴之が笑い合っていた。11Rのダッシュ3艇。「早かったでしょ」。どうやら起こしがかなり早かったようなのだ。しかし、なにしろ勝負駆けだから、なかなか放れずにもいたようだ。「俺、このまま行っちゃうのかなと思った」と辻が言って、またみんなで笑う。もちろん放って、1艇身くらいのスタートになっているが、それぞれの心中を探り合ったスリットまでを振り返り合い、笑い合っているわけである。
坪井は少し複雑な心境ではあっただろう。辻と石野は、優勝戦に残った。辻は相手待ちにはなっていたものの、21点はいちおうのボーダーである。しかし坪井はこのなかで一人、トライアル敗退が確実だった。初戦6着を昨日の逃げ切りで巻き返しながら、もうひとつ6着を獲ってしまった。そこで笑うことはできても、二人と離れれば悔しさしかなかっただろう。結果的に、ベスト6組からは唯一の優出漏れとなってしまった。その心中は察せられる。
辻は、1st発進組から唯一の優出だ。「今節は長い一節になると思ってたけど、明日で終わりだと思うと寂しいな(笑)」。今日ももちろんギリギリまでペラ。明日ももちろん同様となる。毎日終盤レースを走ったので、プロペラ調整の時間はグランプリ組もシリーズ組もあわせてぶっちぎりだろう。まっこと、長い一節なのである。なお、辻は1stも含めてすべて4から外の枠で戦って、ここまで来た。それもあわせて、本当にたいしたものなのである。
石野は11R後はすぐに、整備室に飛び込んでいる。そして本体を割った。残された時間がわずかななか、迷わず整備に着手したのである。強い気持ちで戦ってきたトライアル3戦、しかし機力は決して優勢ではないということだろう。ファイナルに向けての勝負整備。明日は朝の試運転で感触を確かめて、それから長い一日を送ることになるだろう。勝てる仕上げをして、勝てるレースをする。それだけを考えて、石野は妥協することのない動きを見せるはずだ。
この11Rからは、瓜生正義、松井繁も優勝戦に駒を進めている。瓜生は1号艇。ついに艇聖にグランプリ制覇のスーパーチャンスがやってきた。明日はさすがにガチガチになったりするのだろうか。ダービーの優勝戦1号艇は緊張したそうだが、さらに大きな舞台での、というか最大の目標である舞台での1号艇である。今日のレース後は淡々というか、いつも通りの瓜生正義。これがこの状況でどう変わるのか(レース後も含めて)、それが非常に楽しみである。
松井の「1年間の予選が終わったね」という言葉は印象的だ。グランプリに出る。グランプリを獲る。松井の1年間の戦いは、ひたすらそこに集約される。今年は見事に予選突破。あとは勝つだけ、ということになる。今日、方向性は見えたそうだ。だから「明日はかならずもっと良くなるよ」とも。コースは「勝てるところを選んで」。明日の松井はとことん勝つことだけを見据えて、戦いに臨む。松井の年間最大の“勝負駆け”が明日の12Rなのだ。
12Rは進入から激しかった。菊地孝平の前付けが、レースを強烈に揺さぶったのだ。この菊地の、絶対にひとつでも内、という姿勢に覚悟を見た。井口佳典の攻めに抵抗した場面を「冷静じゃなかった」と菊地は振り返っているが、それもまた覚悟の発露でもあろう。明日も同じだ。前付けがあったら、の質問に「前付けに対して主張するだけではぬるい進入になるから、そうなったら自分も前付けに行くつもりでいく」と答えている。石野の気合もとにかくすごいが、菊地の強い気持ちも負けず劣らずすごい。足も良さそうだが、それ以上に気持ちの仕上がりが超抜である。
桐生順平は6コースから1着! スタート展示は菊地の前付けに抵抗し、本番もそのつもりだったそうだが、結果的に外に出たのが正解だった。桐生はそのへんに複雑な思いもあるかもしれないが、短期決戦でこの結果を出せたのは重要な意味をもつ。桐生は3年目にしてグランプリ初優出。明日勝てば、ここが分岐点にあげられるポイントとなるだろう。
会見で「優勝します」と言い切ったのも印象深い。力強く言ったわけではなく、普段通りの口調で、ともすれば流れで口にしたようにも見えるものだったが、「優勝したい」でも「優勝目指して」でもないことに意味がある。自分に言い聞かせた部分もあるだろうが、ということは強い気持ちで大一番に臨むのだという意思表示ともいえよう。勝てばもちろん、100期台初のグランプリウイナー。偉業が成し遂げられるのである。
それにしても、このレースの井口佳典は、意地を見せたと言えるだろう。勝っても優勝戦には届かない立場ながら、素晴らしいスタートを決めて攻め込んでいった。まったくモチベーションを落とすことなく、ひたすら勝ちにいったのだ。さすがのグランプリ戦士である! これがレースを動かして、辻栄蔵に「みんないいレースするなあ。僕は舟券買えないけど、買えたら買いたいですよね。面白かった」と言わしめるレースに昇華させたのだ。あと、1着勝負だった池田浩二の奮闘も光っていた。実際は待機行動違反をとられていたため、1着でもだめだったわけだが、勝つしかないと桐生順平を全身全霊で追いかけた池田の走りっぷりは感動的ですらあった。順位決定戦に回らねばならない6人も、優出6人と差などない。グランプリ戦士はみな、偉大なのだ!(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)