BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――SG初の中止「打ち切り」

 まさかまさかの事態である。クラシック4日目は、7R以降が中止。規定では6Rが終了した時点でその日の開催は成立になるので、中止「順延」ではなく中止「打ち切り」である。つまり、予選は6レースが消化されないまま終了してしまったわけだ。SGでの中止打ち切りは記録が残されている96年以降は初、だそうです。

 21年若松オールスター初日、1Rの展示航走が終了後に全レース中止が決まったことがあった(このときは順延)。そのときもそうだったが、中止が決まったあとの選手の動きは実に素早かった。展示ピットにボートがあった7R組はもちろん、試運転係留所にボートを着けていた選手も一斉に手早くボートを引き上げ、モーターを装着していた選手もすぐに外し、格納作業が次々に行なわれていった。すでにモーターを格納した選手たちもヘルプに回って、あっという間に片付いていく。その間は実に慌ただしくはあったが、同時に整然としてもいて、日ごろの選手たちの手際の良さがおおいに発揮されていたのであった。

 そんななかで気になったのは中田竜太。7R1号艇で登場の予定が中止になってしまったわけだが、本来は1着条件の勝負駆けに臨むはずだったのだ。今日の荒れ水面では逃げるのも決して簡単ではないけれども、地元SGの予選突破が懸かった一戦、それも1号艇だったのに、戦わずして終戦が決まってしまったのだ。7Rの展示航走は長らく始まらず、水面状況を考えればある程度は覚悟していたとは思うのだが、タンクから燃料を抜く列に並んでいた中田はやはり呆然自失といった表情。格納作業を浜田亜理沙と話しながら進めているときも、釈然としない様子を見せていた。中田の地元SGに懸けた思いを考えれば、同情するほかない……。戸田では10月にダービーがある。現時点では選出順位はかなり下だが、あと4カ月、何としても勝率を引き上げ、今日の無念は秋に晴らしてほしい。

 中田以外にも、7Rでは磯部誠がやはりピン条件の勝負駆け。無念さは同じだったとは思うが、こちらはややおどけた感じで「予選落ちが決まってしまいました」と口にしている。また、10R6号艇で登場予定だった田村隆信は、結果的に得点率19位と次点に泣くことになってしまっている。勝負駆けを走れずに次点止まりというのは、やりきれない部分もあるとは思うが、さすがのベテランというか、淡々とした様子ではあった。

 11R、12Rには得点率上位が鈴なりで、予選トップ争いは激しくなりそうだったのだが、それも霧消。トップ通過は吉川元浩で、11R6号艇という不利枠を戦わずしてトップ確定というのはかえってツキがある!?

 その11Rで2号艇だった宮之原輝紀は、やはり戦ってトップを狙いたかったか、やや不満げに顔をしかめてもいた。準優は2号艇となったが、今日の11Rと同様の気合で戦って、SG初優出を決めてもらいたいところ。

 格納作業の間に、新開航がスーツ姿であらわれ、先輩たちに挨拶をして回っている。5R、2周バックで風にあおられて舳先が持ち上がり、そのままタテに180度回転するという危ない転覆があった。これも中止の決断のきっかけのひとつと思われるわけだが、直後に10Rの欠場が発表されていた。幸い、腕を痛めた程度で大過はない模様。先輩たちに労われて笑顔も見せている。このリベンジはオールスターで!

 ところで、戸田の帰宿はバス移動。1便は13時50分発となった。レースが終了しているので、全員一斉に帰ることもできるわけで、1便はさすがに満車。1便で帰るつもりだった上條暢嵩や山崎郡は2便に振り替えられることになっている。そうして待機となった選手はいずれも登番4700番以降で、なるほど、こういうときはやはり登番順なのね、と知る。これがボートレーサーたちの暗黙の了解ということだろう、上條や山崎は当たり前のように待機していた。

 2便は14時10分頃の発で、3便は15時頃。3便が設けられたのは、選手たちに居残り整備が許されたからだ。整備室のプロペラ調整所では遠藤エミ、長嶋万記がかなり早くから居残りを決めて調整をしていた。ボートリフト脇のプロペラ調整室には宮之原や島村隆幸、中島孝平、田村隆信の姿が。中島はかなり苦しい足色で、少しでも調整の時間が欲しいといったところだろう。

 また、中止が決まった頃には豊田健士郎が本体整備をしていて、豊田も居残って整備を最後までやり通している。

 そして、1便が出発するかしないかというタイミングで本体を割ったのが桐生順平だ。まずは、さらにパワーアップを図ろうという執念に感服! そして、整備をするならこのタイミングしかなかった、のかもしれない。桐生は今節の選手班長で、選手側の意見を取りまとめ、競走会や施行者とやり取りする立場でもあるため、中止前後の桐生はまさしく奔走を強いられていたのである。中止が決まったときも、競技本部で関係各所と協議をし、選手たちに中止をまず宣言したのが桐生。それまでにどれだけ多くの話し合いがあり、桐生がそこに立ち会い、また選手たちの声も聞きまくっていたかは想像に難くない。中止決定後も各方面との調整があって、競技本部や整備室、おそらくは控室など、あちこち走り回っているのを見かけている。そうした実際の手間はもちろん、精神的な消耗はかなりのものだったのだ。それらが落ち着いたところでようやく自身の整備。そのとき本体を割っていたのはもちろん、桐生のみだった。

 その合間に、桐生は報道陣に中止決断のコメントを出している。おそらく明日のスポーツ紙に載るはずだが、遠巻きに聞いていた僕が最も印象に残ったのは、「戸田に来たのに帰らせてしまうのが申し訳ない。休みが今日だけで、戸田に来たという方もいたはずなので」という言葉。最後までレースを行なえず、残念な思いをさせたことに責任を感じたというのだ。だってそれは桐生のせいじゃないじゃん! しかしファンに思いを馳せた桐生にはただただ脱帽です。そして最後に「すみません、うまく話をまとめておいてください。あまりに疲れすぎてちゃんと言葉が出てこない(苦笑)」。それほど今日の桐生は苦労を強いられていたのです。本当にお疲れ様! なんか、準優も応援しちゃうよね、もう。
 ともあれ、明日は好水面で準優が行なわれますように!(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)