BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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THEピット――泣いていい

 6名が係留所に降りていった頃から、ピットには大山千広、鈴谷一平、岡部大輝が姿をあらわしていた。116期。入海馨応援団。同期からヤングダービー覇者が出るのだと信じ、声援で後押しをするために、彼らは早々と水面際に陣取ったのだ。仲間の戴冠を信じて疑っていない、そんなムードで彼らは水面を見守っていた。
 スリットを過ぎた瞬間は、なんとなく微妙な空気にはなっていた。センター勢がやや覗いたスリット隊形。しかし、致命的とまでは見えず、入海が先マイすることをやはり誰もが信じていたのではないか。
 空気が変わったのは、上條暢嵩が明らかに入海を叩いていく格好となったときだ。えっ? えっ? ええっ? それは悲鳴の類いではなく、不可思議な光景が視界に飛び込みただ驚く、そんな雰囲気の声であった。それは上條陣営、大阪支部の面々も同様のようだった。完全に上條の勢いが勝り、今にも入海を呑み込もうとしている。それは見ていた誰の目にも意外な光景だったのだ。
 だから結局、最後まで落胆だったり溜息だったりは起こっていない。大阪勢の歓喜の声もあがらなかった。116期勢は入海の勝利を信じ切っていた。大阪勢は上條か小池修平の勝利を願いながら、予想もしていなかった展開となった、ということか。水面では入海が懸命に追撃を繰り出しており、2番手3番手争いは熱くもなっていたのだが、それを見守る仲間たちは淡々とレースを追い、そしてリフトへと向かうのだった。

 誰かが「放ったか?」と声をあげていた。入海と上條の勢いの差を思えば、その可能性はあるだろう。だが、入海はコンマ19、上條はコンマ18のSTだった。放ったのだろうか? もし放ったとしたなら、入海の勘が狂ってはいなかったのか。
 入海は、10R発売中のスタート練習を終えると、ペラ室にこもった。優勝戦組でスタ練のあとにペラ室に入ったのは入海と小池、関浩哉。いずれもペラを叩き変えたとかの大きな調整はしていない。入海も、撫でるがごとく柔らかく、そっとハンマーを下ろす程度。その叩き方でペラの形状が変わるのかどうか訝しくなるほどに、優しく叩いていた。ただ、それが11R発売中になっても続いていた。スタート練習で気になる部分が生じたのか、優勝戦直前、かなり長いことペラを叩き続けたのだ。毒島誠のギリペラはいつものこととして、こんなにも直前までペラを叩く優勝戦1号艇はあまり見かけない。

 もちろん、それが結果にどう影響したかはわからない。もし勝っていれば、最後の最後までペラと向き合ったことが奏功した、となる。負ければ、あまりに神経質過ぎなかったか、ということもできる。だから結果論で語るのは避けるべきだろう。ただ、やはりカタく見えた様子も含めて、重圧はあったのかもしれない、ということにはなるか。それは入海が今後、さらに上で戦っていくときのための洗礼でもあり、また大きな大きな経験でもあろう。
 レース後、入海は競技本部に呼ばれているのだが(1マークで流れ、まくってきた小池と接触、弾き飛ばすような格好になったので、その件だと思われる)、部屋を出た入海は、涙しているように見えた。状況から類推しているだけというのも事実なのだが、たしかにすすり上げるような音を聞いた。今日は泣いていいのだと思う。入海にとって令和5年9月24日の夜はきっと忘れられないものになったし、いつか「あれがあったから今の自分がある」と言えるようになるためにも、今日はとことん泣いていい。それが、今節の鋭く熱い戦いっぷりを薄れさせることには絶対にならないのだから。

 上條暢嵩、おめでとう! スリットから1マークまでに入海を圧倒し、躊躇なくまくった。まさに力でねじ伏せた勝利である。そして、これはある種、順当な優勝ということになるだろう。最年長。最多8度目の参戦。今節数少ないGⅠウィナー。今節唯一のグランプリレーサー。あらゆる実績で全員を上回っている上條が、自力でまくって勝った。予選2位で優勝戦2号艇となったが、得点率は入海と並んでいたのだから実質トップ通過である。まさに完勝、と言うしかあるまい。

 レース前からとにかく落ち着いていた。気合が時間を追うごとに高まっていくのはひしひしと感じられたが、浮足立つところはもちろんなく、粛々とした振る舞いがむしろ周囲を圧していたと言ってもいい。もし勝ったのなら、それが勝因と書くことになるのだろうな、などと考えさせる、そんな堂々たるたたずまいだったのである。間違いなく、踏んできた修羅場の違いである。戦ってきた舞台のレベルの違いである。

 ゴールした瞬間は右手を高々と天に掲げた上條だが、その後はひたすら笑顔を見せつつ、歓喜に高まる様子は特になかった。嬉しそうではあった。達成感のようなものも伝わってきた。しかし派手に騒ぐ様子はもちろんなく、それは大阪支部の面々もまた同様だった。同支部の小池が敗れたことへの気遣いもあったかも? ただ、同時に上條が最終的に目指すものは、ここではないのだと改めて気づかされる、そんなレース後ではあった。

 そう、ヤングダービー制覇はもちろん勲章であるが、しかしグランプリを走った男として、本当に得なければならない勲章はそのレベルにある。この優勝で上條はチャレンジカップ圏内に突入し、2年連続グランプリ出場への挑戦権を手にしそうである。そのことこそが上條には重要なことである。だから、この優勝を手土産に、グランプリ戦線に勇躍殴り込みをかけ、そして地元GPの権利をもぎ取れ! 年末、今年のヤングダービー覇者を、住之江のどちらの戦いで見ることになるのか。僕はそれを気にしつつ、上條の戦いを追うことにしよう。ノブさん、あなたは強かった! おめでとう!(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩 TEXT/黒須田)