9R発売中のこと。係留所からあがってきた桐生順平が、ヘルメットを手に検査員室の出入口に歩を進めた。何か検査員さんに用事でもあるんだろうか、と特に注視していたわけではないのだが、ぼんやりをその様子を眺めていると……えっ、ヘルメットを出入口脇にあるロッカーにしまっちゃうの?
写真のロッカーなのだが、このなかに収めたウンヌンはともかくとして、桐生専用のロッカーがここにあるの? まずそう訝しんだわけである。ヘルメットをいくつも収められないような大きさだし、何よりどうして桐生用のだけここにあるのかがわからない。個人ロッカーは管理棟の中にあるはずなのだが、桐生だけ特別扱いみたいになっているのはなぜ? 池田浩二ならまだわかるんだけど……。
と、ロッカーの左隅に貼ってあるシールに書かれている文字に気づいて、合点がいった。着水用ヘルメット!
ボートリフトを使ってボートを着水するときにもヘルメット着用は必須(カポックも)。そのために使うヘルメットがここに収められているのだ。通常、当たり前だが、選手は自分のヘルメットをかぶって着水を行なう。ただ、桐生は8Rに出走しており、4着。先行艇の水しぶきを浴びたヘルメットは乾燥する必要があり、管理棟には乾燥機も設けられている。桐生のヘルメットはおそらくその中で乾燥されていて、しかし12R出走がある桐生は早急にボートを着水する必要があったので、この着水用ヘルメットを拝借した、というわけなのである。なるほどなあ。ボート取材に携わるようになって17年半、これもまた初めて知った事実なのであった。2回乗りで、レース間隔が短い選手がこれを使うんでしょうね。わかっていれば、着水時の桐生のヘルメットにもっと注目しておくんだったなあ。
さて、8Rは前本泰和が逃げ切り1着。勝っても感情をあらわにするわけではない前本なので、淡々とあがってきて、淡々と引き上げていくのは織り込み済み。さらに、勝利者インタビューから戻っても淡々としていて、今日も前本らしいなあ、と感心した次第。その後はペラ室にこもって、点検と軽い調整。その行動ひとつひとつに前本らしさがあらわれていて、こういう大人になりたかったとわが身を反省したりして。
一方、9Rを逃げ切った菊地孝平は、わりと感情を表現するタイプなので、気合の逃走を決めたあとの様子に注目していたのだが、これがまた淡々としか言いようがないほどに淡々としていて、笑顔を見せるわけでもなければ、力強い目つきをたたえるわけでもなく、ちょっとばかり拍子抜けしたのであった。むしろ、それこそが菊地がこのレースにこめていた気合をあらわしているのかな、と思ったり。菊地は、チャレンジカップにはF休みがかぶっており出場できない。だとすると、ここが勝負駆けなのだ。グランプリに賞金ランク6位以内で出場するための。出場自体はすでに当確。だが、菊地が見ているのはそこではない。視線の先にあるのは黄金のヘルメットであり、そのためにも圧倒的有利であるトライアル2ndからの登場をもくろんでいる。焦点としているものが、相当な高みにあるわけだ。そりゃあ、1号艇で勝ち切ったくらいでは騒ぐわけもないか。とにかく、心技体、さらには機まで、仕上がっているのは間違いなさそうだ。
10Rで2コース差しを決めた丸野一樹も、意外にも淡々としたレース後なのであった。会心の差し切りと見えたのだが、それに対する感情の発露はほとんど見ることができず。守田俊介先輩に言葉をかけられたときに、ふっと目元が緩んだ程度なのであった。昨日の転覆もあって、予選突破は絶望的な状況。たったひとつの勝利に、気持ちを緩めている場合ではない、ということなのか。だとするなら、丸野もすっかり自身に課しているハードルが高いトップレーサーの一人になったなあと感慨を覚えたりするわけである。この常滑で、ヤングダービー初出場だった丸野と初めて会ったときのことを思えば、僭越ながらその成長度合いに感心するしかない。
それでも、勝利者インタビューに向かう際に顔を合わせたので、マルちゃんナイス!と祝福すれば、爽快な笑顔を見せてくれるナイスガイなのは変わらない。「いやー、やっと気が晴れましたわ!」と言って、公開インタビュー行きの車に乗り込んだのであった。うん、少しは気持ちが楽になったらしいのは悪くない。明日からの3日間も、全力投球は間違いなさそうだ。
その10R、池田浩二は4着に敗れている。道中3番手を走りながら、岡崎恭裕の追撃に競り負けた格好。常滑でのこの敗戦は悔しさマックスだろうし、明日以降のことを考えても痛い。どんな様子であがってくるのかを注目していたら、これまた意外や意外、淡々と控室に引き上げていったのであった。苦笑いにせよ、苦悶にせよ、何らかのアクションがあると思ったのに、特になし。ということは、こちらが想像する以上に悔しさがつのっていた? で、ふとカポック脱ぎ場が目に入ったとき、池田が悔しそうに天を仰ぐ姿を見かけたのだった。衆目のなかでは淡々としていても、人目から離れれば本音が出る。そこで見せている様子がいつだって心中をそのままあらわすものではないのだと、改めて痛感する次第なのである。文章に起こすときにはちゃんと考察しないとね。(PHOTO/中尾茂幸 黒須田 TEXT/黒須田)