BOAT RACE ビッグレース現場レポート

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優勝戦 極・私的回顧

水中クイーンの覚醒

12R優勝戦
①石野貴之(大阪) 12
②濱野谷憲吾(東京)11
③倉持莉々(東京)    17
④深谷知博(静岡)    15
⑤山田康二(佐賀)    14
⑥瓜生正義(福岡)    12

 90期の絶対エース・石野信用金庫が他艇を寄せつけずに逃げきった。50回目のオールスターで、10回目のSGタイトル奪取。「勝ち将棋、鬼のごとし」という諺があるが、ゾーンに入ったこの男の強さは「勝ちレース、鬼のごとし」という言葉が相応しい。

 以上、勝者についてはここまで。今日は敗者について書く。おそらく、この6日間でボートレースファン以外の人々の目をも釘付けにしたであろう倉持莉々。おりしも、テレビCMでは水球美女(王林)が躍動するシーンが流布されているが、そのモデルは間違いなく莉々だ。2016年の秋、私は某マンガ誌の企画で莉々と対座した。彼女の口から飛び出す言葉は、驚くことばかりだった。波乱万丈すぎる、と思った。そのエピソードのいくつかを、かいつまんで紹介しよう。

★ボートレーサーを目指したのは5歳。父に手を引かれて立ち寄ったボートレース戸田で、莉々は衝撃を受ける。海野ゆかりという名の女子レーサーが、アウトから一気にまくって屈強な男子レーサーを蹴散らした。
 すっごい! カッコいい! 私もこれ、やるっ!!
 やりたい、ではなく、やる。そう心に決めた。

★もちろん、すぐに選手になれるわけもなし。莉々は兄とともに『水中の格闘技』と呼ばれる水球に精を出し、中学では最強のクラブに所属して主要な大会を勝ちまくった。その活躍が見染められ、当時最強の女子高校からスカウトされるが、そのオファーを一蹴。
「子供の頃から男の子と暴れ回っていたので、女子だけっていうのはちょっと……(笑)」
 なんと莉々は女子水球部のなかった共学高校に入り、全国のライバル選手を招聘。7人集めて女子水球部を立ち上げ、なんと夏の全国大会で最強と謳われた女子高を撃破、優勝した。2年目には無敵の存在になり、その活躍が見染められてポセイドンジャパン(女子日本代表)に選出。高校2年から不動のシューター(センターフォワード的なポジション)を任された。

★高校の監督は「水球の強い日体大に行け、早稲田もいいな」とホクホクしていたが、莉々の選択は違った。『水中の格闘技』から『水上の格闘技』へ。高3の初夏、50倍ほどの倍率をものともせず、やまと学校に合格した。これぞ、初志貫徹。
 だがしかし、入学間近のある日、悪寒と吐き気、さらに肩に妙なしこりを発見して病院に行くと……悪性の腫瘍だった。17歳でのがん宣告。その腫瘍は肩だけにとどまらず、上半身のあちこちのリンパ腺に斑点のように散りばめられていた。
「これはもう、アウトだな」
 莉々は死を覚悟したが、そのがんがホジキンリンパ腫という、最新の抗がん剤が利きやすい腫瘍だと判明。過酷な抗がん剤治療の末、上半身の斑点はものの見事に消滅した。

★母親は「大病も患ったし、もう諦めてもいいんじゃない」と莉々の身体と将来を心配したが、莉々は再びやまと学校にアタック。厳しいことで有名な日々の教練を「めちゃくちゃ楽しかった、です」と笑い飛ばし、114期生としてデビューした。

 この取材はデビューから2年半後のことだったが、当時の莉々はまだ2勝しか挙げていない。
「1対1ならA級の男子選手にも食いついて行けるんですけど、スタートから1マークまでの攻め方がまだよく分からなくて……」
 勝ちきれない苦悩を感じさせたが、それでも最後はとびっきりの笑顔でこう言った。
「今はまだ通用しませんけど、強い男子レーサーといっぱい闘いたい。それが、自分が強くなるいちばんの近道だと思ってます。強い男子と闘って闘って、やっつけられる選手になりたい、です」

 そう、子供の頃からそうやって、この美しいポセイドンは強くなってきた。そして今日、てっぺんには立てなかったけど、艇界の最高峰の舞台で、メチャクチャ強い瓜生正義と闘って闘って、やっつけた。その証として手にした銅メダルは実に誇らしいが、それよりも闘って闘って闘い抜いた今日の航跡が、倉持莉々にとって得難い血肉となることだろう。迷うことなく初心を貫く意思の強さ、大勢に流されない在野の精神、高校でジャパンのエースを張った身体能力、がんをも克服する不屈の根性……この美女は、銅メダルで終わる女ではない。きっと。(photos/シギー中尾、text/畠山)